先生の指導力とはいうけど・・・

最近いじめが原因の中高生の自殺が続いている。そのことについて学校や先生がそれを防げなかったのかとかいうような方向での議論がすごく多いと思う。


確かに先生が率先したり煽ったりして一生徒をいじめてたとかいうのもあるみたいだけど、それは先生としての指導力とかいう以前の問題、その人の人格の問題だと思うわけ。人格って指導力とかそういうのとは違うよね?


で、さらに思うのは、いじめに関しては先生とか学校だけの問題じゃないと思うわけよ。そうやって学校とか先生のせいだけにしているんじゃなんの解決にもならないと思う。そりゃ、子供は学校にいる時間が長いし、学校という集団の中でいじめがおこっているのは事実だけど、そこで起きているからって責任が全部学校内にあるかといったらそれは違うと思う。少なくとも親にだって責任はあるんじゃないの?

それはいじめている側、いじめられている側どちらの親に対してもおんなじ。いじめられている側に問題があるとかそういうことを言いたいんじゃない。いじめていることに気がつかない、いじめられていることを子供から知らされていない、そういうことを察知出来なかったっていうのは問題なんじゃないの?
(最近のニュースでは親が学校に相談していたのに学校がなにもしてくれなかったというのもあったけど。)

私も親なので偉そうなことは言えない。けどやっぱり学校とか先生のせいにしてるだけじゃダメだと思う。


少し前に新聞の投書欄に「自分の子供が被害者になるかもしれないとは考えるけれど、加害者になるかもしれないとはなかなか考えない」というのがあったけど、これは世間一般的にはそれが普通なんだろうか?
自分の子供を信用していないわけじゃないけど、私はいつも両方を考えている。だって自分の子供だからって子供の全部を知ってるわけじゃないでしょ。学校で何をしてるかなんてわからない。家にいるときが子供の全てじゃないし。


子供が中学生になると懇談会にくる保護者は極端に減る。(きっと私立の中高一貫校みたいなところは違うんだろうけど。)それは子供ももう一人でなんでも出来るような感じがしてくるからじゃないかと思うの。でも私は子供のことがよくわからないから出来るだけ懇談会には出るようにしている。そしたらそこで子供からじゃなく先生からだったり、他のお母さんからだったり、色々な話を聞くことが出来るでしょ。せめて親はそういう機会に学校に足を運んだりする「努力」をして、それから先生や学校の責任云々を言うべきなんじゃないかと思う
普段なんにもしてないで突然先生や学校がなにもしないからっていうのはどうなのかな、親だってなにかしたんですかって言われても反論出来ないのでは。

(ちなみに家の子は色々な問題を抱えているので懇談会はもとより学校に足を運ぶ回数は異常に多い。それはそれで問題な気はするが・・・。)