学校給食の思い出・・・くらぁ〜い・・・

この前「食育」の中で「学校給食」の話をしていた。


学校給食と言えば・・・・あたしは暗い思い出ばかり、ホント、くらぁ〜い、くらぁ〜ぃ・・・。


あたし、今でこそこんなに太ってデカイ女ですが、子供の頃は好き嫌いが沢山あり、食も細く、見た目も細い子だったのよ。
でね、今はどうか知らないけど、昔って(っていうか、田舎だからかな?)給食って残すことは許されなかったの。
好き嫌い以前に食べるのも遅かった私はだいたいいつも一番遅くなるのね。時間割りは給食の後が掃除で、細かいところは覚えてないんだけど、食べ終わったら机は教室の後ろに下げることになってた。(とりあえず机を全部後ろに集めて前を掃除するっていうやり方)で、みんなが食べ終わった列っていうのは当然全部机が教室の後ろの方にいってるわけだけど、あたしみたいなのがいると私より前の机は全部私のところまで下げられて(私のところで詰まってる状況ね)本当に机に囲まれたような状況で一人食べてるわけよ。説明が良くないけどこの状況わかってもらえるかな?
そりゃ、好き嫌いがあって食べるのが遅い自分のせいだってわかってる。それはしょうがないよ。
けどね、これってさ、子供にとってはすっげぇ〜プレッシャーっていうか、プレッシャーなんていうもんじゃないね、すごく惨めな気持ちとなんとかしなくちゃっていう気持ちと、でも食べられないもんは食べられないんだもんていうどうしようもない気持ち。はぁ〜今考えてもホントやりきれない気持ち・・・。

とにかく給食の時はだいたい一人で机に囲まれてたな。そういう思い出しかない感じ。
よくさ、学校での楽しみは給食っていうのがあるじゃない。あれ、あたしには理解できなかったもん。給食さえなくちゃなぁ〜とか思った記憶もある。ホント、給食は「魔」の時間だったね。


でね、ここですごく強く言いたいのは「好き嫌い」って言うとさ、本当に単なるわがままって感じがするじゃん。確かにわがままだっていうのは認めるけどさ、それが是正出来ないことってのもあるんだよ。
あたしはね、肉がどうしても食べられない子供だったの。食べられないっていってもアレルギーとかじゃないから正しくは「食べたくない」だけのことかもしれないの。それは認める。けどね、本当に飲み込めないのよ。我慢して食べればいいじゃんて思われるかもしれないけど、本当に飲み込めないの。飲み込もうとする今まで食べたものすら吐きそうになるくらいダメだったの。(実際に吐きかけたこともある。)


でもね、今は食べられるよ。と言っても、今も積極的に食べたいとは思わないけど、目の前に出されたらちゃんと食べるよ。
だからさ、あたしは思うの。
教育として「好き嫌いはダメ」っていうのは大事かもしれないけどさ、あそこまでする必要性ってあったのかなって。栄養が偏るとかいうのはあるかもしれないけど、長い人生の中であそこまで強制されなくても自然に受け入れられるようになる時期ってあるんじゃないかな。


今の学校ではこんなことはしてないんだろうけど、なんかそんなに焦ってすることでもない気がする。栄養失調になってからでは遅いけど、なんにも食べないわけじゃないんだから・・・・・死にゃ〜しないと思うよ。


思い返してみても学校給食で楽しかった系の思い出って一つもない。
私の学校生活の中でも特に暗い、ある種「闇」の部分かもしれない。