ぎょうる、ぎょおる、ぎょーる


いじめる、意地悪する、とっちめる
解体する


「いじめる」「意地悪する」と書いたけど、私としてはそういうのの度が過ぎた状態を表してるような気がする。(あくまでも私の感覚での話しですが。)
これは結構よく使われる言葉だけど、自分の言葉では上手く説明出来ない。
父に聞いたらこんな風に訳してくれた。
それから「解体」っていうのは、鶏やうさぎを殺して、血を抜いて、もちろん皮を剥いだりってのもあり、「食肉」状態にすること。(昔はごく一般の家庭でその作業をしていた。)それを全部ひっくるめて「ぎょーる」というんだそうだ。


いじめるのや意地悪するのはだいたいやられる側からいうので、使う時はこんな感じ。


かわいそうに、散々ぎょーられてた → かわいそうに、散々いじめられてた


解体の場合は


そのトリ、ぎょーっといてくれや → その鶏、殺して食べられる状態にしておいて


・・・ところで、残酷な話しですが・・・
実家の父によると、動物を殺して一番上手く血が抜ける方法というのは・・・口の中、上あごを切るんだそうだ。もちろん切られた動物は痛いし苦しいしで暴れるんだけど、それが一番いい方法だと言っていた。(どういう意味で「いい方法」かは不明。隅々まで血が抜けるということか、短時間で抜けるということか、見た目とういうか体というか、食べる肉の部分に傷をつけなくてすむということか・・・とにかくそこまでは聞かなかった。)
父の話によれば、戦争より前はおのおの自宅で「ぎょーって」いたらしいんだけど、当然みんな「食べる」ためにしていたのでうさぎの「皮」はそのまま捨てていたんだって。それに目をつけた業者が「ぎょーる」から毛皮をくれ、ということで、段々家で「ぎょーる」ことがなくなっていったんだって。そりゃ、そうだよね、殺して血を抜くって誰だってそんなにはやりたくないし、今まで捨ててた「皮」をくれたら「肉」にしてくれるって「ラク」じゃん。
そしてなんと・・・その業者は学校の校庭でそれぞれの家から集まったうさぎさんを「処理」していたらしい。(実際の処理がそこで行われたかどうかはわからないけど、校庭にうさぎの皮がずらぁ〜っと干されて「ヒラヒラ」していたそうだ・・・。その足元?には某さんちという名前がつけられていたそうだ。)



あと、昔の屠殺場は当然の話しですが、毎日血を流さなくちゃならないので、壊れて水を流せないってことでは困るから普通の水道ではなくて途中に水を貯めておくタンクがついていたんだって。


あ、あとね、確かに考えればわかることかもしれないけど、「血を抜く」っていうのは殺したその場でやらなくちゃならないから、例えば最近山でクマやイノシシや・・・他になにかいるかな?そういうのを撃ち殺してもその「血を抜く」っていう作業がイヤでなかなか「肉」にはしないらしい。確かにイヤだろうなぁ・・・撃たれて血を流してるのだっていい気分じゃないのに「血の海」とまでいかなくても「血の水溜り」くらいになるのを見なくちゃいけないのは・・・。