「日記」って・・・

新聞を読んでいたら小学生だったかな?の投稿が載っていて「今年の夏休みの日記も毎日書かなくちゃいけないのに後回しになってしまった」と書いてあった。(たぶん、小学6年生だったと思う。「1年から6年までずっとそう」だって。)


あたしは今でこそ「書く」(というよりは「文字にする」かも・・・)という行為が結構好きなんだけど(例えば手紙も)、確かに小学校、中学校くらいは「大」がつくくらいに「苦手」だったような気がする。
(文章を考えるのが苦手だったのかもしれないけど結構みんなからハッキリ「字が汚い」と言われていたから「文字を書く」ことがイヤだったのかも。)


で、新聞の小学生が考えた自分自身の「日記を後回しにしてしまう原因」は「書くことがない」なんだって。フツーの日は一昨日も昨日も今日も変わりがないってことかな。これはわかるような気がする。「日記」ってさ、その日にあった「事」を書かなくちゃいけないから。


でも、本当にそうかな。
国語の先生には怒られちゃうかもしれないけど、「その日にあった出来事」を書こうとするから書けないんだよね。その日の自分の気持ちを書けばいいんじゃないのかな。
(っていうか、あたしはそうしようとしている。)
実は、あたしが「書く」「文字にする」のが好きになったのは(もちろんそれまで全くなにもしてなかったというわけじゃないですが、ハッキリ「好き」と意識出来るようになったのは)高校に入ってからのこと。
夏休みだったか冬休みだったかの課題でB4(ぐらいだったと思う)のわら半紙になんでもいいから書いて来いっていうのがあったの。ちなみにこの課題を出したのは担任の先生で、先生の専門は物理だったはず。
で、それまでは読書感想文とか結構決められたものでしか「書く」ってことがなかったから「何でもいい」ってのは逆に「何を書けばいいの?」って感じで、でも提出するんだよな・・・って色々考えた末にテレビドラマの感想を書いたんだよね。
これがさ、頭のいい人ならひょっとしてB4の1/4ぐらいでまとめられちゃうのかもしれないけど、あたしって頭悪いじゃん。だからつらつらとB4の紙にギッシリ書いたの。
別に大勢の人に読んでもらうためとかじゃなく、本当に自分の気持ちをただ書いたみたいな感じ。これが自分の中で気持ちよかったんだろうな。自分の気持ちを吐き出せたっていうか、整理してよりハッキリした気持ちになったみたいな。


自分のこの気持ちが万人に当てはまるとは思わないけど、別に「出来事」じゃない自分の気持ちを書けばいいんじゃないのかな。気持ちだったら一昨日の気持ちと昨日の気持ちと今日の気持ちは似ていることはあるかもしれないけど絶対に同じじゃないと思う。例えば誰かを「好き」でもその「好き」は昨日と今日では違うと思う。
書くことなかったらテレビ見た感想でもゲームやった感想でもなんでもいいんじゃないの?いつもキッチリ同じ気持ちでいるとしたらその人はロボット(←いい表現が浮かばなくてゴメンなさい)でしょう。それなら書く「気持ち」なんてないと思うけど。


小学校くらいの先生だとそういう日記は日記として認めないのかな。
「日記なんだからその日にあったことじゃないとダメよ」
って言われたりしちゃうのかな。


あ、ちなみに「汚い字」は今も汚いままだけど、こっちはパソコンという文明の利器に助けられてるのと、汚くても読める字を書けばいいのかなって、レベルを最底まで落としているから最近は結構平気。あ、そりゃ字が汚くて恥ずかしい思いをする場面は沢山ありますよ。字は綺麗な方が絶対いいです。
でもさ、「文字」の出発点て自分自身や他人に何かを伝えるためのものじゃないかと思うわけ。(専門的なことは知らん。)
だったら、その役目を果たしていれば「文字」は「文字」として本望なんじゃないかって勝手に思っている。