痛みを乗り越える

自分より一回り以上も若い男性と話しをしていて、少なくとも痛みを乗り越える方法?は二種類あるということがわかった。いや、大きく分けて二種類以上というべきか?
乗り越え方なんて一人一人オーダーメードのはずだもんね。



ここでいう「痛み」っていうのは「心の傷」みたいなもの。例えば失恋みたいなことかな。まぁ、なんでもいいけど。


私の場合、その傷口がかさぶたで固まったら、せっかく固まったっていうのに自分から剥しにいく人。誰だって忘れたくても忘れられないことってあると思うんだけど、なんだろ、思い出さないようにしたいっていうか、思い出さなくても済んだらっていうのがあると思うのよ。けど、私の場合は自ら進んで反芻するって感じかな。繰り返し、繰り返し思い出す。「思い出す」っていうような自然発生的な感覚ではなくて「思い出しにいく」っていうような積極的なもの。もちろん、例えば仕事している時とか忘れている時間が全くないってわけじゃない。けど思い出す感覚が短い感じ。そうして、その痛みに慣れていく感じかな。傷は傷のまま残ってる。だから、同じ傷はつくりたくないと思うし、逆に同じ傷だったら「こんなもんだな」って「またか・・・」って感覚がすごくある。


一方その男性は傷口がかさぶたになったら、なるべくそっとしておきたい人みたい。もちろんすぐにサッパリ忘れられるわけでもないけど、まぁそっとしておくっていうのが基本みたい。まぁなにかの拍子に自分で思い出したりってことはあるから、そのかさぶたが剥がれることもある。でも自分から剥しにいくわけじゃないから少しずつでも普通の「皮膚」に治っていくというわけ。だからよく言われるように残るとしても「傷跡」ってことかな。



なるほど・・・。


なんかスポーツに例えるのはヘンかもしれないけど、これってどっちがいいのかな。まぁどっちだっていいことかもしれないけど、例えば・・・よ、ボクシングみたいなので試合でボコボコにされて一方は傷が治ってないまままた試合をして、一方は傷が治ってから試合をするって感じよね?ちょっと違うかもしれないけど。
それを考えると、傷が治らないまま次の試合をしてもたぶん負けると思うし、そしてまた次の試合をしても負けると思うし、そして傷は治らないまま増えていく一方。好転することってないんじゃないの?って思っちゃう。


↑って、これは私のことなんだけど。
だからあたし、精神的なっていうか、気力みたいな「体力」がないように感じるのかな。