時計と本

今年は「電子本元年」とかいうのを見た。(「電子本」であってますかね?)
出版業界では「黒船」とか言われて脅威みたい。
ニュースになってるのを見たり聞いたりしていると本当にその通りだなぁと思うのですが、あたしは昔の人間だからか、本の方がいいなぁって思います。で、たまたま・・・ですが、若い人とそんな話をする機会があり、若くてデジタル世代といいますか、モニターを見慣れてるような人達はアレに抵抗がないんだよね・・・と言ったところ、


「それはモニターとか画面と紙という違いじゃなくて、人間は『空間認識』の方がいい(←ちょっと言い方は違うかも)ということです。」


と言われた。どういうこと?と聞いてみると、つまり本だと「本のアノ辺に書いてあったような・・・」と思って本をパラパラと戻したりするじゃないですか、親指をずらしながらバラバラァ〜って、10ページくらい前だったかな・・・みたいな。で、そのページをチラッと見て期待した内容でなければその前後を探してみるとか。最近の電子本はものすごく良く出来ていて例えば指先でページをめくるような「感じ」で読み進めることが出来たりもするけど、たぶんこの「10ページ前くらい」っていうようなことは出来ないのでは。(あ、出来てたらすみません、自分は電子本を持ってないもので。)で、この「あの辺に書いてあった」みたいなのが空間として認識されてるとか。(あ、言っておきますが、学者としゃべってるわけじゃないので、あくまでも根拠のない感想です、だから科学的根拠を持って突っ込まないでくださいね。)


なぁんとなくわかるような気がする。
電子本1個に一生かかっても読みきれないくらいの本を入れられることが出来るとかで、すごく便利ではあるけど、繰り返し「しみじみ」と読むには個人的には本の方がいいなぁと思う。
科学はどんどん進歩するけど、あの「本」ていう形はただの紙から短冊、巻物、折本みたいな形を経て長く残ってきた形でしょ。(もちろん、今だって巻物も折本もありますが。)それを考えると残ってきただけのなにかがあるのじゃないかと思う。


で、そんなことを考えていたら、本て時計と似てるんじゃないかなと思った。



時計ってデジタルと針のものがあるじゃないですか。これもアタシ個人の感想なので一般的にどうっていうのはわかりませんが、今が何時かっていうのはデジタルの数字を見れば一発でわかります。それはすごく便利なことです。けど、たとえば今、朝の8時で午後2時に約束がある・・・みたいなのって、あたしの場合は文字盤の方が感覚をつかみやすいのです。コレ、デジタルの時計を見慣れてる人なら数字からでも感覚がつかめるのでしょうか。


なんとなく似てる感じがする。


今も針の時計は沢山ありますよね。っていうか、自分は腕時計も針のものを使っていて、少なくとも自分の周りだけでいったら半々くらいな感じ。


本も「本」として手元に置きたいという人はこの先も少なからずいるはず。ただ、1回サラッと読んで終わってしまうようなものなら「残しておきたい」という気持ちも弱いはず。
だとしたら、「本」の場合はその内容がより「いいもの」じゃないと「本」という形では存在しづらいのかも。


手元に置いて繰り返し読みたい、ことあるごとに読み返したいと思わせるものだけが「本」として存在出来るのかも。