「やれば出来る」

なんか以前にも書いてるのでしつこいと思うし、「デキナイヤツ」の僻みとか嫉みだとも思うのですが・・・でも肯定してくれる人が少なく、尚且つかなり強く思っているので再び書いてしまいます。



世の中の人達の多くは誰でもが「頑張れば出来る」と思ってるようですが、アタシは違うと思っています。あ、ちなみに家の大学生の息子でさえこの考え方は間違っていないと思っていて、例えば自分が「出来ない」のは自分の努力が足りないからだと完全に認めているのです。


そして、世の中の「傍から見て成功している人達」も「思い続ければ出来る」って思っているんじゃないかと思います。



あ、言っておきますが、アタシはそういう成功している人達が幸運だけでソレを手に入れたとはこれっぽっちも思ってないです。人並み以上の苦労をしているはずだと思います。でもだからと言って誰でもがやれば出来るかというとソレは違うと思うんです。



なんか上手く言えませんが、例えば「思い続ける」とか「頑張り続ける」とかっていうのも「才能」みたいな部分があって、例えばスポーツ選手は体を鍛える(ちょっと単純過ぎるイメージですが)ことをず〜っと続けていかないといけないと思うんです。その肉体的な苦痛というか苦労というか、物理的な消耗みたいなものっていうのがあると思いますが、例えば肉体的にそれに「耐えて」いけたとしても気持ちが「もうイヤだ」って思ったら続けられないですよね。その気持ちを持ち続け「られる」っていうのもある意味「才能」だと思うんです。
(はぁ〜・・・・なにか言葉にすると全く説得力がないですが・・・。)


以前知り合いと息子に同じことを聞いたのです。「今アタシがマラソンかなにかで世界記録を目指して練習を始めたら、これからでも世界記録を出せると思う?」って。そしたら二人共



「やれば出来るんじゃないの?」



って言ったのです。
アタシは「無理」だと思ってます。
仮にアタシの体に感情とか全くなく指示された練習メニューを淡々とこなしていける精神が組み込まれていたら可能かもしれませんが、少なくとも今の自分の「気持ち」では無理だと思います。それは最初から「出来ない」と思って努力することをしないからってわけじゃなく、その練習をしている中で「もうやりたくない」って「絶対」に思うからなんです。それがわかってる。(こういうのを精神力っていうんですかね?)



なんか本当に言葉で上手く説明出来ませんが「やれば出来る」と思い続けることが「出来る」気持ちの持ち主に限って



「やれば出来る」



んじゃないかなって思います。







そうそう、前にこういう話を息子にしたら、息子からは
「『やっても出来ないことがある』っていうことを認めてしまうと子供とかに努力しろって言えなくなるじゃん。お母さんみたいな人は少ないと思う。」
と言われてしまいました。



イヤ、だから思うんですよ。
「やれば出来る」世界って、要するに結果を求めてる世界だと思うわけ。
ってことは、結果が出せない人って「努力しなかった人」ってことになるでしょ。
アタシはそうは思わないんです。
みんな努力してる。確かにやり方が間違っていて「ムダな努力」になってる場合もある。
だけどソレを全部「努力してない」ことにするのは「酷」だって思うのです。



まぁイイヤ、アタシが甘ったれてるってだけのハナシね。