便利過ぎる=詰まらない

人間はどこまで生活が便利になれば気が済むのかと思う。
あ、こんなこと言ってますが、アタシ自身十分その便利さを享受しています。
でも一方で便利過ぎるのって「ソレ」に対する楽しみを失うことになっているんじゃないかとも思います。



例えば・・・自動車で、障害物があるとぶつからないで停まるっていうのがありますよね。アレは素晴らしい技術なんだと思います。あのシステムが搭載されていれば事故が全く起きないってわけではないと思いますが(現状として、でも行く行くはそこまでの精度?を目標としているんですよね、たぶん)でも事故自体は減るのでしょう。でも、そのクルマにやらせていることって本来人間がすべきことじゃないかって思っちゃうんです。あ、そういう話をするならオートマ車の段階で自分としてはどーかなー・・・って思っちゃいます。
自分は自動車の業界的な方向とか全然知りませんが、この先クルマってものがなくならないとしたら、人間がスイッチでエンジンをかけて、カーナビみたいなものに目的地を入力したらあとは運転しなくても(事故もなく)間違いなくそこまで連れていってくれる。クルマの中で何していても自由、寝ててもいいって、そういう風になるんじゃないかと思います。
(あ、クルマに「スイッチ」や「カーナビ」なんて古い発想かもね。全ての機能はスマホにあって、それさえ手元にあれば不自由ない。)
でもそうなったらソレってクルマを運転するんじゃなくて(その頃には免許も不要でしょう)クルマに乗るだけの話ですよね。「運転する」楽しみもなくなっちゃう。


ゲームも・・・まぁ、ゲームっていうことで言ったら双六だって同じになっちゃいますが、今って自分のキャラクター?(ソレを表現する言葉を知りませんが)を育てて戦闘みたいなことをするじゃないですか。あ、戦闘じゃなくても街をつくるとか畑でなにかを作るとか。現実の世界でソレをするのは肉体的にキツかったり(だって本当に戦ったりしたら死んじゃうかもしれない)何かを習得するまでにメチャメチャ時間がかかったりする。だから現実世界で時間をかけて一つのことをするより現実世界よりは短い時間で出来る色々なことを体験したつもりになれる。
それって便利だけど・・・本当に楽しいのかな。


あ、ゲームやってる時は楽しいと思います。でもなにか・・・言葉で理路整然と「こうだからこう」って説明出来ませんが・・・残るのは感覚とかじゃなくて思い出だけって気がします。あ、思い出だけが悪いってわけじゃないです。でも本来の思い出って・・・記憶だけじゃなくて、何かその他のモノに付随しているような気がするんですが・・・・こういう考え方自体が古いのかな。
あ、まぁこんなこと言ったら本読むのと何が違うって言われちゃいますよね。



イメージトレーニングって言葉があるように、肉体で経験しているだけではダメなこともあるのでしょうが、それ自体が大事なこともあるんじゃないかな。



包丁でささがきにするよりピーラーでやったらラクなのかもしれないし、鍋に水入れて蒸すよりも電子レンジ使った方が失敗なく栄養も損なわれないし、手で洗うより食器洗浄乾燥機を使ったほうがキレイになるし使う水も少なくてすむって・・・・便利でいいこと尽くめなのかもしれないですが・・・



アタシはソレを詰まらないと思います。





なんて言いながらガスコンロを便利に使ってるんですけどね。
(ろくろ回して火をつけてたらもっとエラソーなこと言えるんだけど。)