満足と納得

冷たい人間ですから。




今まで何度も繰返し書いてると思いますが、何が良くて何が悪いかみたいな基準というか、そういうのが良くわかりません、ホント。



最近真夜中に歩いている時によくそれについて考えるのですが、例えば長生きするのがいいこと・・・みたいなのって誰が決めたんですか?
病気になったら(まぁ例えとしてわかりやすいのが「がん」だと思いますが)病気と闘って勝つことがいいことって、誰が決めたんですか?
多数決?


あ、ホント、念のため言っておきますが、今まさに病気と闘ってる人がいると思いますが、そういう人に対して「そんなの」とか言うつもりは毛頭ないし、長生きしている人、長生きしたい人に対して文句言うつもりも全くありません。
(ちなみに実家の母は400歳まで、息子は1万年生きたいと言ってます。それが希望ならばそれが叶うといいねって思います。)


けど、自分が他人から「長生きしろ」とか「病気と闘え」とか言われるとしたら、なんでそんなこと言われないといけないの?って思っちゃいます。
アタシは早く死にたいと思っています。(今すぐって言われると身辺整理が出来てないのでちょっと恥ずかしいからイヤなので、出来れば「余命」がわかると有難い。)
けど「憎まれっ子世に憚る」って言葉があるから、アタシはものすごく長生きするんじゃないかと不安に思っています。



なにか世の中の人達がなぜそんなに長生きしたいのかアタシには良くわかりません。
よく「孫が出来ると楽しい」とかって言いますよね?アタシもそういう気持ちは本当にそうじゃないかと思うのですが、自分にしてみるとそれって「何がなんでも生きたい」って思いに繋がるほど強い思いじゃない気がしちゃうんです。



アタシじゃなければダメ



っていうほどのなにかってこの世の中にあります?
まぁ、例えばですが、子供がまだ小さかったりしたら、そりゃぁお母さんはいたほうがいいとは思います。でも基本、「お母さんじゃなくても愛情を持って接してくれる人がいればいい子に育つ」って話ならば、今は公共のサービスというか福祉?が充実してるので別にアタシである必要性ってそれほどでもない気がします。で、家の場合はもうちょっとで子供も独立?するはずなので、そうなったらそれこそ「親」なんていてもいなくてもいいような。



あ、そうは言ってもアタシは「命」ってわからない誰かから預かってるものだと思うので、自殺みたいなことをして自分から積極的に命に関わるのは「良くない」と思ってるのです。
だから自殺はしません。
けどやっぱり何が何でも長生きしたい、みたいな気持ちもない。
上手く言えませんが、人生そろそろ「おまけ」の期間じゃないかって思えてしょうがないんです。



自分がやりたいって思うこと全部出来てっていう人生なら満足して暮らしていけるのかもしれないけど、現実には様々な制約があって全部思いのままにってわけにはいかない、まぁ気持ちと現実をすり合せて生きています。でもそれが不満かと言えば、それはそれで納得しているから「満足」です。


身辺整理以外で心残りって・・・・何かあるかなぁ・・・アタシは今死んでもそんなに「残念」じゃないなぁ。