私物

これまた今までに何度も書いてるように思いますが・・・



最近つくづく「将来のこと」を考えるようになってます。
「将来のこと」って、小学生に将来の夢を聞くみたいな、そういう方向の話じゃありません。



自分が「死ぬこと」について色々考える。


あ、言っておきますがね、現時点で「不治の病」に罹ってるとか、近い将来自殺を考えているとか、そういうことでは全くありません。
そういうことではないけど、出来るだけ「死ぬことを考えて生きる」みたいな、そんな感じ。



発端はここのところ強く感じる実家の両親の「身辺整理」と家のお父さんが亡くなって、その「私物」が「ジャマ」なこと。



以前にも書いてるはずですが、実家の父が
「今更なにかを大事にしておいたってちゃんと元気でいられるのなんて残り10年くらいなもんだ。まぁ仮に20年生きたとしたってその時に今と同じくらい元気だとは思えない。むしろ短くなる可能性の方が高いじゃないか。」
と言っていて、だからその10年後に向けて今から本当に必要なものだけを残して、その他は子供にあげたり処分したりしている。
たとえばそれは畑仕事に関してもそうで、今まで作っていたモノをここ数年で何分の一かぐらいまで減らしている。

一方、家のお父さんですが、コレも以前に書いてるように思いますが、何かをためるのが好きだったんです。
もちろん個人の趣味嗜好に文句言うつもりは全然ないので構わなかったのですが・・・正直亡くなった今となっては、少なくともアタシにとっては単純に「ジャマ」なだけなんです。
えぇ〜っとですね、よくいますよね「何かに使えるかもしれないからとっておく」って、そういう人。例えば(本当のところは良くわかりませんが)大八車の車輪とか、ベニア板とか・・・。しかも物置とかに整然と並べてあるっていうならまぁ遠くない将来使おうと思ってるのかな・・・って気もしますが、庭の「その辺に雨曝し」って感じなんです。しかもモノが多くなるので、だんだんソレラの占める場所が広がっていく。
正直今までもイヤでしたが「使おうと思ってるんだろうな」って、とにかく趣味嗜好に文句は言いたくない(言わないことにしている)ので「見て見ぬフリ」をしてました。
で、まぁ本人だって自分が何時死ぬかなんてわからないっていうのは十分理解していますが、そういうのを全て「そのままにして」亡くなったわけです。



最近の自分の気持ちとして心から、後に残った人が困るようなことはなるべく少なくしておきたいっていうのが強いです。



今までは自分自身として毎日を後悔しないように生きるっていうのがあって、身辺整理みたいな関係以外なら「明日死んでも別にいいけど」って、特に思い残すこともなく生きてます。当然ですが、だから「まだ死にたくない」って気持ちもないです。



でも最近は、まだ死にたくないって思ってないってことは特に将来について「たくわえておく必要」もないってことだよなぁ〜って、それを考えたら「いつか使うかも」って考えもおかしいよなぁ・・・って思うようになって、


本当に必要なものだけあればいいか・・・・って、色々なものを手放したい。




で、結構「決定的」だったのは、子供がまだ幼稚園とか、ぐらいな時に写真入りで作ったカレンダーとか色々(正直消耗品)なものを両親が家に持ってきたのです。たぶん、ですが、捨てるに忍びなく、でももう要らないってことなんです。
ソレを見て



そうだよなぁ・・・昔を懐かしむとか、そういうモノも必要ではあるけど、でも両親がいなくなった後なら「これって捨てていいのかな?」っていうゴミですよね。
そういうのも「モノ」としては本当に少しあれば良くて、後は心の中に残るもので十分てことじゃないでしょうか。



っていうか、自分として思うのは心に残らなかったならそれだけのことなんじゃないかな。
写真なんかを見て「あぁこんなこともあったっけ・・・」って思い出すのも悪いことじゃないし、ボケ?防止にはいいのかもしれないけど、アタシの感覚とすると自分で覚えていられないことは所詮その程度のこと。
アタシはそれでいいです。



平均寿命でしたか、仮に人間が同じようにソコまでしか生きられないとしても、今10歳の人に70年後に死ぬから準備しろっていっても全然ピン!とこないと思う。そしてこないほうが正しいんだと思う。
でも人生半分くらい生きてきて、特に思い残すこともなく、「あと何年」て考えたら、やっぱり自分がいなくなった後に「誰か」が困ることのないようにしておくのが最後の「やらなきゃならないこと」なんじゃないかって思う。