忘れる。

アタシには今の世の中にフツーに生きてる人達(たぶんアタシ以外の全員)が本当に高機能な人間に思えてしかたないです。


パソコンでいうならCPUもOSもメモリ、ハードディスクも全部、使い物にならないくらい古い感じ。


第一に頭の回転がメチャメチャ遅い。でも、アタシにしてみると遅くても処理出来てるならまぁいいとしてくれって思いますが、今の世の中は全てが速く、遅いっていうのは致命的。
そしてメモリなんかも、今やテラまでいってるっていうのにアタシはKバイト程度。だから新しいことをどんどん入れていくっていうのは不可能です。完全に古いものの上に新しいことが上書きされていく。
だからって、ソレだけじゃないと思いますが、正直思い出が沢山ないような気がしてます。アタシにしてみると忘れていく思い出というか、まぁ全てのことに対してですが、忘れちゃうのはアタシにとってその程度のことだったっていう考え方なので特にどうとは思ってないです。たぶん、世間の沢山思い出のある人達から見ると「寂しい人生」みたいに思われるんじゃないかと思いますが、自分としては特に残念なこともありません。ソレでいいと思ってます。


あ、ここまで書いてきて思いました。子供に対しては申し訳ないと思いますが、うちはビデオの類はいっさいないです。(運動会とか音楽会みたいな時にお父さんやお母さんが撮るヤツ。)写真も本当に小さい時のは少しはありますが、小学校以降はほぼない感じです。(学校の先生なんかが撮ってくれて注文するのはある。)




なにか・・・ソレ仕舞っておいてどうするの?
って感じなんです。たぶん、家族で写真を見て「歓談」するっていう習慣のあるお宅なら、折に触れて(例えば家族みんなが集まるお盆やお正月なんかに)ソレを見返すこともあるのかもしれないですが、如何せんうちにはそういう習慣がないんです。だから、たぶん一度仕舞ったら次に見るのは・・・アタシが死んだ後の「遺品整理」の時じゃないかと思います。



そう考えると・・・なにか撮る時間がムダというか、その時間があったら自分の心に残しておきたい(残るものなら)って感じなんです。


でも当然ですが、全てを覚えているのはムリでかなりの部分を忘れる。たぶん自分の中で一番いい場面とか衝撃的な場面だけが残っていく。



そんなわけで・・・アタシは昔のことをドンドン忘れていきます。済んだことはもう覚えていなくてもいいって感覚です。(くどいようですが、忘れたくないこと、忘れられないこともあることはあります。)
だから?相当なことがない限りウソは言わないことにしています。済んだことを忘れていくので、後で自分が言ったウソについて聞かれても辻褄の合うことが言えないから。
大袈裟かもしれないですが、アタシにとっては今からの未来のこと「だけ」が大事で今から過去になってくことはある意味「切捨て」ている感じ。(ホント、しつこいですが「完全に全部」ってわけではないです。)
あ、「切捨て」っていうとかなりマイナスイメージですが、良い言い方をするなら「遣り切ってる」ので、ソレを後になって色々考えたりすることがないってことです。



コレ、アタシの全てに対して言えることで、仕事に関しても結構そういう部分があり、終わってることについて聞かれると本当に「そうでしたっけ?」みたいに、オマエ、本当にやったのかよ?って感じの対応になってしまう。(コレは自分でもいかんと思ってます・・・。)



いやぁ〜なにか・・・世間の人達の記憶容量の大きさにホント、ビックリします。
っていうか、同じ世界に生きていながら、現実の時間も記憶という人がそれぞれ持ってる時間についてもアタシの「持っている時間」とは全く違う感じがして・・・同じ世界だけど別階層に住んでるんじゃないかって思ってしまいます。