ちっき

(両親からの話し)
今もこの「システム」は残ってるのでしょうか?ひょっとしたら残ってるのかも。(飛行機にはありますよね。)



汽車(電車じゃないです)に乗る時、すごく荷物が多い場合座席や通路に置けないですよね、置ける分は置いてもいいと思うけど。
そういう時に荷物を貨物車(っていうかどうかわからないけど、荷物だけをおく車両)に預けることを「ちっきで送る」というらしいです。
都会ではどうだったのかわかりませんが、そもそも汽車に乗る機会などそうそうなかったはずで、なので親の記憶がバッチリ正しいとは言い切れないのですが、「チッキ」(←カタカナかひらがなかもわかりません)の料金が運賃に比べて「すごく高い」と思ったことはなかったそうです。


今は運送業(というか各種交通網?)が「発達」しているから今日送って明日着くなんてふうに荷物を送るということが普通に出来てしまいますが、昔は荷物を送るということが今みたいに一般的な感じではなかったようです。だから?自分で持って行く。あ、大きさにもよるのかもしれませんが(だって郵便というものはあったはずなので)個人のお宅まで「配達」するなんていうことがなかったようです。



これを聞いてアタシはなかなか良いシステムじゃないか、と思ったのですが、今は電車なんかにはないですよね?すごく遠くまで行くような電車にはあるのかな?アタシはあまり電車を利用しないので「ない」と思ってるのですが。
で、親に「良いシステムだと思うけど、なぜ無くなったのか」ということを聞いてみると(別に鉄道関係者じゃないので聞かれても本当のところはわからないでしょうが)



今は早さを追求するからなくなったのでは



という感想でした。
結局荷物を積み込む時間て必要ですよね。今みたいに停車時間が短ければ荷物を積んでる時間がないんじゃないかと。あぁ、なるほど・・・と思いました。あ、どっちが先かはわかりませんが、そういう早さを求めるのと荷物だけを送るサービス(自宅まで届けてくれる)が出来たのとでだんだん利用する人が減ったのかもね。(だって重い荷物を自分で運んでいくより荷物だけ送れて、しかも自宅まで届けてくれるんだったらそのほうがラクですよね。)




あと、これはチッキとは違う話ですが、農作物を送る?ような時は各々が駅まで行って自分の作ったものを汽車に載せなければならなかったみたいですが、そういう時は駅から100m〜200mくらいにもなる行列(みんな自転車とか荷車?リヤカー?みたいなもので運んできている)が出来ていたみたいです。で、汽車がくるとどんどん荷物を積み込む。だけど、行先なんかの仕訳が間に合わず、そのまま汽車に乗って中で行先毎に分けたり、ということをやっていたみたいです。
父の話しによれば、中で時間がかかって4つぐらい先まで乗っていってしまうこともあったとか。(今でも大して多くない電車なので、当時はもっと少なく、もっと時間がかかっていたのでは・・・。)帰りの汽車までの時間が長く、なんにもすることないな・・・みたいに待ってたそうです。
この時の運賃等どうなっていたのか全く不明です。父自身もよく覚えていないようで、タダだったのか、事情がわかっていて許してくれていたのか・・・とにかくそのことについて強く咎められた記憶はないとのことです。




いやぁ〜なにか、たぶんアタシの小さい頃にはまだこの状況は続いていたのじゃないかと思いますが、記憶には一切ないです。っていうか、そもそも鉄道を利用すること自体がなかったです。今は身近というか、生活自体に余裕があって(あくまでも当時と比べて)「旅行」みたいな「観光」っていうんですか?そういうことが出来る世の中ですが、当時はなにかもっと近場で手軽な感じの「遊び」しかしていなかったように思います。ホント、地理的なことが関係していると思いますが、田舎の山奥の人間は鉄道とは無縁で、たぶんアタシが「電車」に乗るようになったのも高校生くらいからだと思います。しかも1年に数回あるかないかぐらい。
たまにテレビなんかで見る白黒の記録映画?なんかと勝手に重ね合わせて、きっとああだったんじゃないかな・・・と想像しています。





そして更に関係ない話ですが・・・
母は自宅のある集落の中の工場に勤めていたのですが、仕事が終わった後に(だから夕方5時とか6時くらい?)同僚と町までの6〜7キロくらいを歩いて映画を観に行くことがあったとか。しかも村?から町までの間の道って舗装もしてないような道で、しかも集落と集落の間だから本当に一本道みたいな感じなんです。外灯なんかもほぼない道。(その道は今も一本道です、ちゃんと舗装されて車も通れる大きな道になってますが。ひゃぁ〜元気だなぁ・・・今のアタシだったらそんなに歩いて行くの面倒だからいいやってなっちゃう。)
まぁ母というよりは世間全体がそういうもんだったわけで、当時はそれが当たり前だったってことですね。
ある時は折角歩いて映画館まで行ったのに休みで「ただ」歩いて帰ってきたって。でも本当にそれが普通だったから真っ暗な道を何人かで話しながら歩いていて、たまには男の人とすれ違うようなことがあってちょっと声をかけられたりしても、でもこっちも一人じゃないから?特に怖いと思うようなこともなかったなぁとのこと。



思い返せば本当にのんびりおおらかな時代だったんだなぁと話してました。



なにか便利になり過ぎて小さな心になっちゃってる印象。
全て昔が良かったなんて単純なもんじゃないのは理解していますが、ホント、なにかを手に入れるってことはなにかを手放してるってことなんだろうなって思います。
自分の手に持てるものには限りがある。