共働きの家庭の子どもは「かわいそう」か

ちょっと前にネットで読みました。
こういうのって今までに何度も書かれていることだし、アタシもここで何度も書いてますが・・・


まぁ記事の内容はザックリ言うと著者は親が共働きの環境で育ち、保育園、学童保育で大きくなってきたけど、特になんとも思わなかった、みたいな内容です。


そして


かわいそうかどうかを判断するのは子どもであって、周囲が「この子の境遇はかわいそう」と安易に決めつけるべきではないということだ



とも言ってます。



いや、そりゃぁそうですよね。全くもってごもっとも。



でも・・・アタシはここで思うのです。以前にも書いてるような気がしますが、子供って親の顔色をうかがうというか、親には好かれたいんですよ。
著者は


子ども時代の私は母が働いていることについて、「誇り」に近い感情を持っていた。それはおそらく、私の両親が私に対して、「母には仕事があり、それは大事な仕事である」「母は仕事と家庭のことを両立している。我が家にはその必要がある」「忙しいから、他の家と同じようにいかないこともあるけれど、他の家と違うことはおかしなことではない」


みたいな感じだったようですが、正直アタシからするとこういうことを回りの「大人」から吹き込まれていてソレが普通だって思うようになっちゃってただけじゃないの?って思います。
あの・・・「吹き込まれる」なんて言葉はものすごく悪い印象だと思いますが、だいたい人間なんて全員が多かれ少なかれそうやって自分の考え方を「確立」させていくんじゃないかと思います。(大人になってからだってそういう部分てあると思う。)
だから、例えば産まれたばっかりの子供の心がちゃんとわかるとしたら話は別ですが、大人になってしまった人の子供の頃の気持ちをいくら聞いたところで正直なんの役にも立たないような気がします。
(この記事は仕事についてのハナシですが、例えばお母さんが子供の前で「結婚なんかしてもなんにもいいことがない」とか「お父さんみたいな人にはなるな」とか言ってたら結婚なんてしたくないなぁとかお父さんみたいな人はキライだ・・・みたいな話が出てくるんじゃないかって思います。逆に「結婚して本当に幸せ♪」とか「お父さんみたいに素敵な人はいない」みたいに言ってたら結婚してしあわせになりたいなぁとか思うようになるんじゃないのかな。もちろんそれだけで全てが決定されるわけじゃなく世の中の情勢とか自分の体験とか、そういう他の要素でも個人の考え方は構築されていくと思うけど。)


そう考えると結局は大人の都合のいいように子供の考え方がコントロールされていくと言ってもあながち的外れとは言えないとアタシは思います。



そして一番思うのは・・・頭で理解するのと気持ちとは別だってことです。
本当はお母さんと一緒にいたいけど、お母さんは仕事にいかなくちゃならないからいい子でいよう、さびしいけどいい子でいよう
っていうのは、たぶん普通の良い子だと思います。
で、たぶんフツーに大人になっていくんだと思います。
そして大人になればお母さんの気持ちとか、状況とかもわかっていくと思います。
それって理解する=寂しくないってことではないですよね。
うだうだ言ってもしょうがないから言わないし、言わないまま大人になるから何事もないし・・・でも、アタシはやっぱりソレは違うんじゃないかって思います。



アタシも両親が共働きの環境で育ちました。
たぶん子供の「素質」にもよるのだと思いますが(あと兄弟とか諸々の環境)アタシは正直なところもっと親に構って欲しくてたまらなかったように思います。
けど、当然?ですが、親にもそんなこと言ったことないし(それは今になっても)まぁなんというか「普通の子」みたいな感じで大きくなってきました。
でも、果たしてソレの結果だけで「ね、共働きだって全然普通じゃん」と言われるのは、なにか釈然としません。