「ときめき」だけで片付くほど人生は単純なもんか。

今、世間どころか世界中で「ときめき」をキーワードにした片付けが注目されているみたいですが、



アタシは自分の性格としてそこまで「割り切った」気持ちにはなれないです。
そもそもこの「ときめき」って言葉がどこまで広範囲をカバーしているのかも知らないので、ひょっとするとアタシが考えて「ときめき」じゃない部分まで入っているのかも。



昔は正直「まぁまぁこんなもんかな」ぐらいの気持ちで色々なものを買ったりしていましたが、最近はそういうこともなく本当に気に入ったものだけを買ってるつもりです。ただ、洋服なんかに関して言えば自分の体型とかもあってサイズが合って気に入ったものを見つけると「コレは買っておかなければ」みたいになることは事実です。なかなか自分に合うサイズがないから見つけた時に買っておかなくちゃって気持ちにはなる。



だから、基本的に本当に気に入ったものを買ってはいるのですが「今回はやめておこう」みたいにはなかなかなりません。
ということは洋服なんか増える一方です。あ、もちろん洋服買うことが趣味ってわけではないから毎日買ってるとか、決してそういうことではありませんけど。




で、本当に気に入って買ったものでもここ数年着てないとか、ハッキリ言って「忘れていた」みたいなのもあることはあるんです。(よく言いますよね、3年だか5年だか着ないのは手放せ、みたいなこと。)
けど、だからと言ってその服のことがどうでも良くなったわけじゃなく、見れば気に入って買った時の気持ちとか思い出します。それに、サイズが完全に合わなくなっていたとしても、本当に気に入って買ってるから勿体ないとかいう気持ちとは全然別にまだ着るかもって思ったりするんです。(まぁ、一方でサイズが合うようになることは永遠にないような気もしてることはしてるんですが。)



こういう気持ちを「ときめき」って言い換えてるんですか?




そんなわけでアタシは捨てられない服が沢山あります。もう一生着ないかもしれないけど。





一方、単純に物持ちが良い?みたいなハナシですが、




子供が小学校の臨海学校、林間学校の時に必要だったから、気に入るとか気に入らないとかじゃなく、斡旋されるがままに買ったリュックとか。



こんなのハッキリ言ってときめきもなにもあったもんじゃありません。
子供二人で合計10回も使ってないんじゃないかな。


でも、それを後生大事に仕舞っておきました、10年以上も。





これって、ときめき基準だったら完全に捨てるべきものなんじゃないかと思いますが、なんと!最近ソレを使う機会に恵まれ、そのリュックは押入れの奥から発掘され日の目を見ることになりました。
で、使ってみると意外に?良く出来ていて使い易い。



こんなのどうしようって思ってましたが、こういうこともあります。




今までにもず〜っと書いてきてますが、アタシは世の中も自分の人生も選択とバランスが大事だって思っています。
だから「あぁ〜もう、こんなの要らん!」てその人の中でキッチリ答えが出るまで要らないなぁ、不用品だよなぁって思っていても別に「頑張って」答えを出して残すか捨てるか決めなくてもいいんじゃないのかなって思います。




自分の気がすまないうちになにかすると後悔すると思うよ、後で。