箱膳

方言ではないですが、やはり忘れてしまうのは残念なのでここに書いておく。

(画像は「松代箱膳の会」主催の「春の箱膳体験会」でのものです。)



画像はお膳の上だけしかないのでわかり難いと思いますが、名前の通り箱状の御膳です。
四角い箱に蓋がついていて、食事時以外はそこにご飯茶碗と味噌汁椀、お箸とおてしょ(「箱膳体験会」では「こてしょ」と言ってたように聞こえましたが・・・アタシの聞き間違いかも)を入れておき、蓋をしておきます。
ご飯の時には中のものを出してフタをひっくり返してその上に置きます。


お膳の上にはご飯と味噌汁、一人ひとりのおかず(例えば焼き魚みたいなもの)がのるだけで、その他の漬物や煮物みたいなものは大皿でとりまわしていたそうです。
(体験会では漬物が最初からお皿に盛って置いてありました。)



で、まぁ、普通にご飯を食べ終わったところで、ご飯茶碗に白湯が注がれます。
茶碗にご飯の糊っぽいのがついてると思いますが、それを漬物なんかで「拭う」みたいにして茶碗をキレイにします。
次に味噌汁椀に白湯を移してそれもキレイにします。
(体験会ではとりあえずご飯茶碗だけでした。)
で、その白湯は捨てるんじゃなく飲み干します。



そうやって使ったものをキレイにしたら「洗わないで」そのまま箱膳の中にしまいます。
箱膳にしまったら(実家では)米櫃の横に重ねて置いておいたそうです。
(一人にひとつずつあるので、それを家族分重ねて置いておく。)



今は水道があるから毎度毎度水で食器を洗っていますが、昔は水道というものがないので水瓶に水を汲み貯めておいて使っていた。
(どうも汲み貯めるのは子供の仕事だったみたい。)そのようなわけで、家族全員分の食器ををじゃぶじゃぶ洗うなんてことはなかった。



(余談ですが、実家ではその当時電気、電球というのかな、それも1個しかなく、ご飯を食べる時にはお勝手に、食べ終わった後はお母さんなんかが後片付けや次の日のためにご飯を仕掛けるので流しに、それが終わると茶の間に・・・みたいに移動させて使っていたそうです。だからご飯食べ終わった後、茶の間の電気もないところでお茶が出てくるのを待ってたそうです。)



では、箱膳の中の食器は全く洗わないのか・・・というとやはりそうではなく、一週間に1度みたいな頻度ではキチンと洗っていたそうです。
母の実家は家の隣に川が流れていて、そこで洗ったと言っていました。実家は井戸かな。
お盆みたいな前には特にキレイに洗うとか(ちょうど大掃除みたいな感じかな)そういうのもあったみたいです。




さて、箱膳はいつから自分のものがもらえるのか・・・というところですが、箱膳体験会では「小学校に上がるくらい」「子供ながらに【仕事】が出来るようになったら」ということでした。
これは、実家の両親も同じことを言っていました。(それまではお母さんと一緒にご飯を食べてる感じ。)
ただ、母は「新しいのを作ってもらった」とのことですが、父は「家に古いのがいっぱいあって、新しいのを見た記憶がない」とのこと。
う〜ん・・・これはどっちが本当なんだろうか。っていうかまぁ本当もウソもなく、その家々の決まりみたいなそういうのだったってことかな。
(でも、もう60年以上も前のことで、しかも日常的なことだから・・・ハッキリ覚えてなくても無理はないです。非日常的なことって結構記憶してると思うんだけど、普段のなんでもないことってすごく良く覚えてるってあまりないじゃないですか。)



そして母が言うには結婚する時は箱膳は持っていかないそうです。(嫁ぎ先で用意してくれるのかな。)母は結婚するまで母の実家で箱膳を使っていたそうですが、実家(父の家)ではそれより少し前に家を改築?したようで(蛇口から水が出るようになったらしい)既に箱膳は使っていなかったので使わなくなったとのこと。



体験会では使っている人が亡くなったら、一緒に埋葬する(一緒に「焼く」だったかな?)、みたいなことを言ってたように思いますが、実家の両親の記憶では、少なくとも箱膳そのものを一緒に埋葬するみたいなことはなかったと思う、とのことでした。(この辺りは「花嫁のれん」にも通じるものがあるような・・・。)
なぜなら、当時は土葬で、しかも土地がすごく広いわけでもないので「縦」に埋めたから(もちろん「立った」状態ではないですが)そういうものを一緒に入れなかったと思うとのこと。
ただ、埋めた後にお盆にご飯と味噌汁、小麦粉で作ったおだんご、お箸をのせて置いておいたから・・・それが箱膳のフタだったかも・・・とのことです。ここは両親ともちょっとハッキリしないとのこと。



ただ、一緒に埋めないってことを考えると・・・実家の父が「古い箱膳が沢山あった」というのと状況的には一致してくるのかも。(あと、お嫁に行った人のものとか・・・。)


ちなみに、箱膳は両親の記憶によれは「なんとなく」サイズが決まっていたらしく、新しいのを作る時には近所の大工さんに作ってもらったり・・・みたいな感じだそうです。(近所に大工さんがいない時は・・・買ってたのかなぁ・・・ちょっとわかりません。)



そうそう、ご飯時ではないですが、農繁期なんかは子供が学校から帰ってきた時に家に人が誰もいないってことがあるわけですが、その時に箱膳の中にリンゴとかブドウとかが入っていて・・・「なにかなぁ」と思って開けるのは楽しみというか、入っていると嬉しかったと母が言っていました。




体験会は松代基準だと思うので60年前には姿を消したみたいなお話しでしたが、実家はそれよりもっと田舎なので60年前でもまだまだバリバリ現役で箱膳を使ってたわけです。






今はご飯を食べた後の茶碗に白湯とかお茶とか注いだら「汚い」みたいに扱われますが、今、直前まで食べてたものをそのまま使うのがそんなに汚いことなのかってアタシも不思議に思います。
しかも自分が使ってたものです。
どこかから拾ってきて、今そのまま使えとか、1年前に使ってそのままになってたのを使えっていうのとは意味が違うと思うんだけど・・・日本人て恐ろしく清潔好きっていうか、度が過ぎてるようにアタシには思えます。
昔はみんながそうしていて、ホント、おおらかというか、のどかというか・・・牧歌的というか・・・のんきなもんだよなぁ。
もちろん清潔になったことで病気みたいなそういうのは確実に減ってるわけでソレを頭ごなしにイカンと言うつもりはないですが・・・とにかく「過ぎてる」んじゃないかとアタシは思う。