「基礎研究を許す社会」

ノーベル賞ととった先生が言ってましたね。
ああいう方がああいうことを言ってくれて本当に良かったと思っています。


ノーベル賞みたいな本当に特別なことではないですが、今の世の中って即結果に結びつく、結果がわかりやすいことばかりが評価される世の中だと思う。
もちろん結果は大事ですが、そこに至るまでの地道な研究とか作業っていうのもより大事だとアタシは思っています。


ホント、研究ではないですが、盛んにいわれてる「ものづくり」みたいなことに関しても基本となる「地味」な部分こそが大事なのではと思います。
たとえば小さな部品みたいなの一つでも、ソレがキチンと出来ていなければ不良品みたいなことになる。
こういうの、作ってる人に「これがすごく大事で大変な仕事をしているんだ」っていう意識みたいなのがないまま「とりあえず作ってる」みたいなことだとダメだと思うのですが、そういう気持ちって「大事にされてる」感がないとダメですよね。
で、それってわかりやすくいうならお給料だったりするわけですよ。なんだ金かよって言われちゃうかもしれないけど、やはり仕事って生活がかかってるわけで、給料減らしてモノはいいものを作れってそれはムリです。




色々な業界の「職人」と呼ばれる人達だって、自分がやった仕事に見合った金額が欲しいのは当たり前です。
アタシみたいな貧乏人にはそういう職人が作った「本物」を手にすることは難しいけど、なんでもかんでも「安く、安く」みたいなのは間違ってると思う。
で、まぁアタシみたいなのが多いからかもしれないけど、本物を手にいれることが出来る人は少なくなって、少なくなると仕事としてやっていけなくて・・・の悪循環。
けど、そういう技術(まぁ今の世の中的にはなくなっても痛くも痒くもないのかもしれないけど)は仮に必要としている人が少なかったとしても残していくべき技術だと思っていて、そういうところにもっと補助金出すとかなんとか応援して欲しいと思う。




いつも思ってますが、絶えた技術を復活させるのは技術を伝えていくより何十倍も大変だってことを、現場に立ってない世の中のトップの人達にもっとよく理解して欲しいと思う。




「今」だけを注視するんじゃなく、もっと広くおおらかな気持ちをお願いしたい。
底辺の人間が言うと負け惜しみみたいな、負け犬の遠吠えみたいな、なんか表現がよくわかりませんが、そんな感じですが、ノーベル賞とった先生が言ってくれて本当に嬉しいです。