津波で大勢が犠牲になった大川小の件。

もう上っ面も上っ面な部分しか知らない状態での感想です。
だからもっと深い部分を知ったらまた違う感想なのかもしれないですが、一応上っ面しか知らないアタシの感想。



昨日ニュース番組を見ていたら裁判で学校だか市だかのミスだと認めた判決が出たと言ってました。
その中で、地震の後、全校児童のうち何十人だったかは学校まで保護者が迎えにきてその人達は助かったと言ってました。
(そういう連絡が保護者にいったのか、保護者が自主的に学校に迎えにきたかまでは言ってませんでした。)
その後の「50分」の間に児童を含む学校関係者?は校庭から津波に巻き込まれる地点に移動したということです。



で、アタシは思いました。
なんでもかんでも自己責任とか言うつもりはないですが、裁判起こした保護者はなんで学校に迎えに行かなかったのかな、迎えに行けば良かったんじゃないのかな。



こんなこと言ったら「仕事中だった」とか「まさか津波に巻き込まれて亡くなるとは思ってなかった」みたいなこと言われるんじゃないかと思うけど、もし本当に「ヤバイ」と思ったなら他人任せにせず命が掛かってると思って学校に迎えに行くべきだったのでは。
学校にいるなら学校でなんとかしてくれてるはずだと思ったならそれは保護者の判断ミスなのでは。
その時点で裁判起こした人もそこまでの津波じゃないと思っていたのでは。
もしそう思っていたなら学校だか市だかわからないけど、訴えられた人もそう思っていたのでは。



もちろん中には勤務先から迎えに行くのに3時間かかります、みたいな人もいたかもしれないです。
けど、一応「50分」あったみたいだから、本当に「これはマズイ!」と思ったなら迎えに行くのに50分以内で行ける人は行ったら良かったんじゃないのかな。




そして、生き残った児童が、亡くなった児童の中で「山に逃げよう」と言っていた子がいると話しているようで、その児童の声を「無視して」先生達は山じゃない方に誘導し結果津波に巻き込まれたということです。
でもこの場面で「無視して」みたいな言い方するのはおかしいんじゃないかとアタシは思います。
だって子供達を誘導していた先生だって「死んでもいいや」みたいな気持ちで逃げたわけじゃなく「こっちへ逃げた方が助かる」と思って逃げたんじゃないのかな。その選択が結果的に間違っていたわけだけど、経験したことがないような状況での判断ミスを論うことになにか違和感を覚える。



後から言ってもなんの役にも立たないけど、もし本当に津波より前から津波を心配していて山に逃げた方がいいと思っていた人がいたとしたら(保護者を含め地域の人とか)、それこそ子供や先生や学校に「津波が来たら絶対に山に逃げて」と「刷り込んで」おいたら良かったのかも。
けど、そこまでアブナイと思ってた人はほぼ誰もいなかったから(あるいは山に逃げるのを「当たり前」と思っていすぎて)直接先生や学校に言う人はいなかったんだろうな。



緊急時の判断ミス、ミスはミスかもしれないけど・・・しょうがないでは許されないんだろうか。(ましてや判断下した人も亡くなってる場合。)