不思議な世の中だよなぁ、ホント。

深すぎる「ぼっち」の定義。



ラジオを聞いていたらクリスマスを一人で過ごす「クリぼっち」っていうのについてやっていた。
(ハナシの方向としては別にソレに注目する、みたいな内容ではなかったのですが。)



なにかを一人でするっていうのに対して、アタシ個人としては「大昔」から特別マイナスイメージはないです。
っていうか、そもそもアタシ自身が一人で色々なことをするのを「良し」と思ってる人なので。



よく学校生活なんかでも女の子はトイレに行くのも一緒、みたいなのを言われることがあるじゃないですか。
アタシは男兄弟の中で育ったせいかそういうの本当にキライなんです。
だから一人ぼっちより連れだってなにかをするっていうほうにマイナスイメージがあるんですよね。そんなの一人でやればいいじゃん、みたいに。(イヤ、もっと上から目線的な言い方をするなら「一人で出来ないんかな」とすら思う場合がある。)



で、まぁアタシとしては一人でなにかをすることに対してなんとも思ってないのです。なんとも思ってないから一人でするそれ自体を誰かにお知らせしようとも思わない。



が、ラジオでは一人で過ごしたクリスマスについて「こんな感じ」っていうのをネットに上げたりして「盛り上がる」みたいなことを言ってました。
「盛り上がる」って・・・一人でやって一人で盛り上がって自己完結するならわかるのですが、ネット上で盛り上がるって、確かに実際にいる場所は一人ひとり別々の場所にいるのかもしれないけど、ネットという「場」では既に「集団」になってるような気がするんですよね。



そう考えると、なにかアタシが思う「一人ぼっち」っていうのとはやっぱり違っていて、要するに直接顔を合わせないというか、現実世界で目の前にいないっていうことのみが「一人ぼっち」ってことなのかなぁ。



アタシが思う一人ぼっちっていうのはもっと閉じた世界なんだよなぁ。
例えばアタシの「真夜中のお出掛け」。
体重のこともあるから一応毎日ここにつけてるし、ついでに出た時の感想も書いてるけど、自分としては完全に一人ぼっちでやってることなんだよなぁ。
たぶん別の場所で同じようなことしてる人はいるかもしれないけど、特にそういう人と繋がりたいとも思わないし、繋がる必要もないし。
まぁここに書く以外に家に帰ってきてから心に残った出来事があれば家のものに話すことはあるけど。



なにか、今の世の中の「一人ぼっち」の定義がネットがあることでものすごく複雑になってるような気がする。
「一人ぼっち」と「繋がってる」っていうのがものすごく絶妙な、微妙なバランスって気がする。



アタシの一人ぼっちは繋がらない一人ぼっちです。