なんか違和感。

アタシが冷たい人間だというのは最初に言っておく。
そして人を殺すことは良くないと思っていることも言っておく。



アパートで9人の遺体が見つかっただか、9人殺しただかっていうのがニュースになってますが、その報道のされ方になんか違和感。
「報道のされ方」っていうのでいいのかな、ちょっと言葉は良くわかりません。



ニュースとか新聞とかで殺された人達について色々な報道があります。
その人がどんな夢を持っていたとか、仕事を頑張っていたとか、いい子だったとか。



確かに殺されてしまって「夢を断たれた」って部分は真実なのかもしれないですが、殺された人達ってフツーに道を歩いていて突然誘拐(拉致?)されてアパートに連れ込まれて殺されたってわけではないですよね。
「殺された」って部分についてはお気の毒というか、残念なことに違いないと思いますが、アタシはこういうのってその前段階がものすごく気になるヒトなんです。
(この事件に限らず、ニュースで取り上げられるようなこと全て起きた事件のことはやるけどその前段階のことはあんまりやらない。)


そこに至る過程。



今回の事件に関しては捕まった人が「本当に死にたい人はいなかった」と言ってるみたいですが、事実として「死にたい」みたいなキーワードで接点を持った人がある意味自発的に、積極的に会った結果として「襲われて」いるわけですよね。
そこのところをもっと客観的に報道したほうがいいのでは。



なにか、他でも同じようなこと書いたことがあったような気がしますが、人が亡くなった後で「夢があった」とか「いい人だった」みたいにコメントしてる人達、本当にそう思って付き合っていたのなら、そもそも「自殺したい」みたいな気持ちをもっとなんとかしてあげたら良かったのではと思うし、報道もそういうこと言ってるくらいならなんで「自殺」したくなっていったのかとか、そういう原因を追究した方がいいんじゃないのって思う。



あ、人の気持ちの原因なんて追究出来ないかもしれないけど(アタシ自身結構すぐに「死ねばいいのか」みたいに思う人で、それって本当に「気持ち」「性格」によるところが大きいと思うから)でも、単純にその人達のことを「いい子だった」みたいに言ってるだけでは、ではなぜそんな人に会いに行ったのかって部分は全然わからない。



接触せずにいたら殺されることもなかったのでは、と思うとなにか被害者の報道のされかたと事件が分断されてるというか、階層が違うみたいな違和感がある。
ホント、なんかしっくりこないというか・・・。




あ、ちなみに「一人では死ねないから一緒に死んでくれる人」とか言ってる人は死なない方がいい。
「死にたい」なんていうのは一人でなんでも出来るようになった後だよな。
(って考えるとアタシもまだまだ死にたいなんていえる域には達していない感じ・・・。)