使う側に問題があるのでは。

田舎に住んでいて、しかも電車にはほぼ乗らない生活をしています。
都会ではホームドアって結構な割合で設置されてるのか、それとももっとちゃんと全部につけろって思われてるのかアタシにはちょっとわかりません。



正直、田舎の閑散としたホームには別に必要ないなって思っていて、その延長でなんで都会には必要なのかぐらいに思ってました。
それをダンナに言ったら都会は人が多くて電車を待ってる時にたまたま人がぶつかったりしてよろけたり・・・みたいな感じで線路に落ちる人がいるということでした。
へぇ〜・・・と思いました。



確かにそういうふうに「思いがけず」落ちてしまう人をなくすにはいいと思うのですが・・・。



昨日か一昨日、緑内障を患っていた高齢の女性がホームから転落し、退避場所に入ったけれど落とした荷物?を拾おうと身を乗り出して電車にひかれたというニュースがありました。で、亡くなったご本人も世間の見方も「ホームドアがあれば」みたいに思っているみたいだけど・・・


本当にそうなんだろうか。



亡くなった女性は緑内障のせいで正面のほんの少ししか見えてなかったそうです。
そういうの、出来る、出来ないをもっとちゃんと意識したほうがいいんじゃないかと思う。(年齢、障害関係なく。)
だって、自分はほんの少ししか見えてないから慎重に歩こうとか、そういうこともっと意識してたら落ちなかったんじゃないの?
ホームドアがないからってわけじゃないと思うんだけど。



人間てなんでもかんでもラクな方が好きみたいで全部使われる側がちゃんと出来てないからだ、みたいな考え方してるけど、本当にそうなの?
使う側の「気持ち」に問題があるのでは。