「在る」ものを無くす罪悪感

命のこと。



倫理とか道徳って人間が罪悪感を感じるかどうか、みたいな多数決で出来てるんじゃないかと思う。
で、命についてですが、当たり前ですが、命って人間個人が持っている唯一の「自分のもの」じゃないかと思うわけです。


洋服とかお金とか、みんな色々持ってるけど、それが本当に自分のものかって言うと「今は」って注釈がつくんじゃないかと思う。
けど、命だけは「自分のもの」ってハッキリしている。
(誘拐されたりして他人に命を握られるような場合もあると思うけど、それでも「自分のもの」っていう部分は間違いないと思う。)


とは言ってもアタシの感覚とすると命って(輪廻転生みたいな)つながってるような感覚もあって、アタシの命は今はアタシのものだけど、これを使って次につなげていかなくちゃならないものと思っている。



人間て今生きている人の命をなくすことに対してはものすごい罪悪感があると思うけど、一方で自分から持たない(生み出さない)ことに対しては全く罪悪感がないことがなにか不思議。
例えば自分の命、アタシは自殺をいいこととは思ってないですが、逆にそこまで悪いことなのか、とかも思ってしまいます。あ、ただ、「自分の命」とは言っても特にまだ成人してないような年齢のヒトに対しては「自分だけのもの」とも言えないような気はしている。
(逆もまた然り。)



けど、今までにも書いてますが、アタシは80とか90とかまで生きていたくないので、出来たらそのあたりで死にたいなと思う。
ホント、安楽死じゃないですが、死にたいと思った時に死ぬことがそんなにいけないことなのかって思っちゃいます。
(くれぐれも言っておきますが、みんなに80歳とか90歳になったら「死ね」と言ってるわけじゃないです。長生きしたい人は出来たらいいねって思う。)
それくらいまで生きてたら自分のしなければならないこともほぼやってきてるように思うので、あとは自分の命くらい自由にしてもいいじゃないかって思っちゃう。



あ、アタシが思ってる「しなければならないこと」っていうのは、純粋に動物的なことというか種の保存というか、そういう根本的なことです。
子供を産んで自分の命を次の命につなげていく、みたいなことです。
(ホント、今どきはこういう話をすると「産めない人もいる」みたいなハナシになりますが、産める、産めないのハナシじゃないのです。次の世代につなげていくっていうハナシです。)



こういうこと考えると自殺とかよくないとか言いながら「子供はつくらない」みたいなの、アタシの中では同レベルみたいな気がして、自殺みたいなのはものすごく「やっちゃいけないこと」みたいな言い方されるけど一方で「子供をつくるかつくらないかは個人の自由」って・・・どこがどう違うのか、って思っちゃいます。
なにかメチャクチャ大きい部分では結果は同じような・・・。



なにかたぶん、単純に今在るものを失うこと「だけ」が人間にとっての罪悪感なのかも。