過労死がいいこととは思いませんが。

最近さんざん言われている「働き方改革」。アタシは若干違和感というか、完全にこれまでの働き方が悪いみたいな言われ方になんか違和感があります。


言っておきますが、じゃぁこれまでみたいな働き方を続けてこれまで以上に過労死とか過労からくる鬱、そして自殺みたいなのが増えていいのかって言われたらそれは良くないと思います。


そう言われたら「良くない」とは思いますが、なにかそう「決めつける」みたいなのもちょっと違うような・・・。



まず最初に思うのが「モーレツ」に働きはじめたのっていつ頃からなのかってところです。まだアタシが生きてない頃のことなので本当に勝手な思い込みですが高度経済成長といわれる時期くらいからじゃないのかなぁ。ただ、これもアタシの印象ですが、この時期の「モーレツ」に働く人っていうのは会社に勤める人って気がして、そうじゃない農林水産業に従事している人達はそれ以前からものすごく「過酷」な感じで仕事をしていたんじゃないかと思っています、肉体的にも精神的にも。



で、高度経済成長期にもあまりニュースにならなかっただけで(なっていたのかもしれないけどアタシは知らない)過労死とか過労自殺とかしていた人が今みたいに多かったのでしょうか。まずそこが疑問。
それから特に最近というか、最近でもないかもしれないけどこういうハナシが出ると「外国では」みたいなハナシがすぐ出てきますが、いつも思ってますが、なぜそんなに外国と比べたがるのかっていうのと、比べるなら全部一緒に比べないと意味がないと思う。
例えば良く言われるのが「外国と比べて非効率」みたいなの。会議とか残業とか、もっと効率よくしたら、生産性をあげたらそんなの短時間で出来るだろうってハナシ。
確かにそういわれたらそうなのかもしれないです。けど、アタシはそういう言われ方されると高度経済成長期の日本の技術や豊かさ?みたいのが全部否定されるような気がするんです。その時期に「日本発」の発明とか研究とか、世界をリードするようなそういうのってあったんじゃないの?別に残業していたからそういう発明とか研究とか、成果が出せたと言いたいわけじゃないです。でも(それは今の世の中でも)単純に時間短くして効率的に働いてそんなに「簡単に」結果って出せるものなのかって思うのです。(くれぐれも言っておきますが、だから長時間労働でもいいじゃないかといいたいわけじゃないです。)



今までやってきた作業なんかを効率よくするとかっていうのはまぁわからなくもないです。でも、それは「今までやってきたこと」だから効率良く出来るのであって新しいことをする時には「効率良く」なんてそもそも出来ないはずなんです。初めてやることが効率良く出来たとしたらそれは「天才」だと思う。フツーは初めてやることだからやっては失敗して・・・みたいな繰り返しで「ムダ」な時間がものすごくかかるはず。高度経済成長期の日本てそういうことをやってきていたんじゃないかって思うのです。そしてそういうことに対して「効率が悪い」とか「生産性が悪い」とか言ってなかったんじゃないのかな。



なにか上手く言えないですが、注いだ時間が新しい技術だったりを生み出していくのではないかとアタシは思っている。
なんでもかんでも働く時間を短くとか、しかもそれを法律でどうこうするとか・・・なんか違う気がする。


人手不足とかいいながら完全失業率が0になることはなく、結局みんな自分がしたい仕事「だけ」をしたいわけで、でもそもそも仕事って趣味じゃく(好きなことを仕事に出来てる人は努力もあるけど限りなくラッキーなだけだと思う)生きていくためには稼がなくちゃならないって、寧ろソコをもっとキッチリした方がいいんじゃないかと思う。(まぁ「労働の義務」ってありますが。)


アタシ、思うのですが、会社にとって所詮従業員なんて歯車の一つに過ぎない。代わりなんていくらでもいるのです。(極論、事故にあって今日死ぬかもしれないわけで。)そりゃぁ突然誰かがいなくなったら瞬間風速的に困った状態が発生するとは思いますが、ホント、そんなの全体からしたら大したことないはず。もしそれで本当に困ってその会社が立ち行かなくなる・・・なんてことになる人は一握りも一握り、ほんのわずかな人達のはず。
でも、そこを「自分がいなくなったら困るだろう」みたいな気持ちと「自分にはこの会社(仕事)しかない」みたいなヘンな責任感というかなんというか・・・そういうのがあるんだろうなぁ・・・




無理だと思ったら辞めたほうがいいよ、誰も困らないから。