ズームとスポットライト

最近幸せと不幸せの分かれ道というか、その違いってなんなのかなと考えて「不幸せ=ズーム」「幸せ=スポットライト」みたいだなと思うようになった。アタシとして一番しっくりくる感じ。



上手いたとえではないと思いますが、自分の人生だったり自分の日常だったりを構成する要素が100個あるとして、一個一個の大きさは全部同じとして100個全部が悪いことだったり100個全部が良いことだったりすることはまずないと思うんです。
その時例えば99個悪いことでもだた一つの良いことにスポットライトを当てられる人は多少なりとも「幸せ」だって思えるんじゃないかと思う。もちろんその幸せがどれくらい持続するかとか、ソレとはまた別の話。
そして99個いいことでも1個悪いことがあってその一つに「ズーム」して「不幸せ」だと思う人がどちらかというと結構多いんじゃないかという印象。(あくまでもアタシ個人の印象です。)



だから「自分はこんなに不幸だ」って思ってる人のハナシを聞いたりした時に他人からすると「それくらい」って思うことって結構有りがち。これって本人はその「不幸」だと思ってることにズームして「不幸」をより鮮明に、より拡大して考えているからって気がする。
一方幸せって、例えば宝くじが当たった、みたいなイベントだとその存在がハッキリするけど、フツーに暮らしてる時の幸せってフツー過ぎて埋もれてしまって気付き難い。例えばフツーにご飯食べるって、ご飯食べられるってすごく幸せなことよ。仮に病気になったりして(例えば風邪でも)ご飯美味しく食べられない(食欲がない)ことだってあるわけですよ。それ考えたらご飯食べられるって本当に有難いことなのにそこは見てない。そういうところにスポットライト当てて「こんなところにも良いことが!」って思えたら幸せだと思う。フツーのことは見てなくて「いいイベント」だけを幸せにカウントしてるとなかなか幸せにはなれない。


見えてるものをズームするのと探し出してスポットライト当てるのを考えると・・・たぶん見えてるものをズームするほうが簡単で・・・だから人間てなかなか「幸せ」だって思えないのかも。