選択肢を少なくしてるのでは。

【「お箸の持ち方がおかしい。お嫁にいけないよ」 娘への言葉に母が反論】でヒットすると思います。


学校で先生から『お箸の持ち方がおかしい。お嫁にいけんよ』と言われたという。(小学校1年の女の子)
で、お母さんは【お箸の持ち方が変だから結婚したくないとかいう人とそもそも結婚せんでいいし、いや、結婚する相手を決めるのは娘やし、女が選ばれる時代なんてとっくに終わってる】と考えているようです。
そして【『お箸の持ち方がおかしいから、お嫁にいけない』という先生の発言は、時代錯誤だと感じました。『お箸の持ち方で人の優劣を決めること』を私はしたくありません】とも考えているようです。


まず最初に・・・「お箸の持ち方がおかしいから、お嫁にいけない」っていう文言に対して「時代錯誤」と考えているようですが(たぶん世間の皆様も「時代錯誤」と考える人は大勢いるような気がする)これって「お嫁にいけない」って言葉が「時代錯誤」と感じるんだと思うのですが(男女差別とか・・・)けど、アタシからすると「お母さんのいうことをきかないと鬼がくるよ」的な「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」みたいな迷信とか・・・それと似たようなレベルのハナシだと思ってる。単語を取り上げて論うと時代錯誤かもしれないけど内容としては「戒め」みたいなもので、その単語を取り上げて感情的?になるのはどうなのかって思います。


そして「お箸の持ち方が変だから結婚したくないとかいう人とそもそも結婚せんでいい」という考え方、アタシはこれには賛成です。なんというか例えばですが、人物を構成する要素が10個あったとして(優しいとか頭がいいとか、背が高いとかお金持ちとかみたいなこと)その10個の中に「お箸が正しく持てる」ってヤツが入っている人と入っていない人がいるはずです。で、結婚というハナシになったとき(まぁ付き合うでも良いですが)相手に対して絶対に譲れない条件みたいなのがあると思うのですが、その絶対譲れない条件に「お箸が正しく持てないとダメ」っていう人がいるかもしれない。その場合、お箸が正しく持てない女の子はその人と付き合ったり結婚する必要はないわけです。ただ、仮にその相手のことメチャクチャ大好きでも・・・残念ながら付き合うことも結婚することも出来ないから・・・そうなった時に「お箸ちゃんと持ててたら・・・」みたいな状況が発生しないとも限らない。
「結婚する相手を決めるのは娘やし、女が選ばれる時代なんてとっくに終わってる」とも言ってますが・・・付き合うのも結婚するのも一方的なものじゃないです。「娘」さんが選んでも相手が「お箸持てないのか・・・」ってなる場合もないとは言い切れない。
というわけで、選択の幅を狭めているのでは、とアタシは思います。


あ、言っておきますが、アタシは世の中のほぼ全ては「趣味の世界」と思ってるので、結局「お箸を正しく持つ」っていうのも趣味の一つで、まぁ趣味が合わないってことです。趣味が合わなければ付き合うことも結婚することも難しい。だから「そんなの気にしない」という人と付き合ったり結婚したらいいと思います。
「優劣」ではなく「趣味」。


今、これ書いてて思いました。「箸の持ち方」って「字がキレイかどうか」っていうのに似てませんか。
字がキレイか汚いかも命にかかわるような重要事項ではないけどキレイな方がいいですよね。箸の持ち方もそれと同じような感じがする。
直接他人からあからさまになにかを言われるわけではないけど・・・多少印象に影響はあるんじゃないかと。


アタシはメチャクチャ字が汚くて人前で字を書いたり、祝儀袋みたいなものに文字を書いたりするのがホントにイヤです。でもとりあえず結婚してるのはダンナが「まぁ字が汚くてもいいや」って文字のキレイさが絶対譲れない条件に入っていなかったからだと思う。
お蔭様でダンナは字がキレイな人なので、結婚後の重要書類?はほとんどダンナに書いてもらっている。
有難いことです。