ペーパーレスとマイクロプラスチックの関係

「関係」というのとはちょっと違うと思いますが、なんかヘンなの、みたいな、なんだかなぁと思うことです。


そもそもどういう理由で「ペーパーレス」を推し進めてきたかってことですが、アタシの中では「環境に配慮」とか「コスト削減」とか「効率化」みたいな感じではなかったかと思います。(違ってたらすみません。)
確かに電子化して一つの情報をみんなで共有するっていうのは効率化っていう部分ではその通りかもしれないです。
けど、環境に配慮とかコスト削減とか・・・こういう部分についてはホントにこの「目標」を達成出来てるのかって思ってしまいます。紙や印刷代とかみたいなハナシが出ますが、そもそも電子化したって機器や環境がなければ全く意味がないわけで、その環境整備するのにどれくらいのコストがかかっていてどれくらい環境に配慮してるのかって思います。



最近ではマイクロプラスチックの問題が取り上げられてお店が使うレジ袋みたいなのを紙袋にするとかストローを紙製にしたとか・・・そういうことに対しては環境とかコストとかいうハナシは全く出てこないのはなんで?ハナから使い捨てることが前提になってるものと自身で手元に置いておくものとの違いみたいなことですかね。なにかこういう辻褄の合わない(とアタシには感じられる)ことが本当に不思議です。


個人的にはそれこそ40年、50年前みたいな感じで買い物には買い物籠(今時ならエコバッグ)必須、籠持ってきてないなら売れませんとか今みたいにレジ袋何円とかじゃなく布や紙製のエコバッグみたいなのをその場で何百円とかで売るくらいなことしたらいいのにって思います。あと個別包装とかも全部やめたらいいと思う。飲料も全て昔みたいにガラス瓶にしたらいいんじゃないの?運送料が高くなる、みたいなハナシならモノを高く売ったらいいじゃん。


なんだか今まで人間は便利とかラクとかを求めて周りの環境をメチャクチャ変えてきてると思っていて、その環境に合わせて人間性?みたいなのも変わってきてるとアタシは思ってます。(便利さやラクさに慣れきっている。)で、今も今後も人間のその慣れた感覚はそのままにしておいて更に環境を変えることでなんとかしようと頑張ってる感じ。



なんか・・・縄文時代まで遡れとまでは思いませんが、自給自足+αくらいの時代の「感覚」まで気持ちを戻してもいいんじゃないかとアタシは思います。