想像力の問題ではないかと思う。

虐待もそうだし、いじめと言われてる(特に)暴力なんかもそうだと思いますが、思いやりみたいなレベルのハナシではなく単純に想像力がないっていうことが一番の大きな問題点ではないかと思う。


良く「自分がされて嫌なことはしない」っていうのがありますが、たぶん自分がされたことないからイヤかどうかもわからない→他人がされてもイヤかどうかわからない→やってみる、やってもいい(やりたいことはやってみる)みたいな感じじゃないかと思う。


フツーは、と言いたくなりますが、自分がされたことないことでも「こういうのイヤだろうな」みたいなのが、例えば漫画なりアニメなりドラマなりを見たりしてわかるようになるんじゃないかと思いますが、結局「自分だったら」みたいな想像は一切しない(出来ない)んじゃないかと思う。
だってさ、例えば他人から殴る蹴るされるのってどう考えても痛いに決まってると思うんですよね。そんなことないよなぁって思う人がいたら殴られたり蹴られたりしてみたらいい。そりゃぁ「イヤだろうな」ってわかっていても不用意な発言してしまうこともあったりします。(アタシ自身会話の中で。)けど、暴力みたいなのって言葉みたいなのよりず~っと「積極的」なものだと思うんです。あ、もちろん意味もなく暴言を吐くっていうのは「積極的」なものだと思いますけど。


なにか「自分だったら」って考えたら、そうそうイヤなことって他人に対して出来ないよ。
(でも日常生活の中で故意ではなくイヤな思いをさせてる、させてたかもって後から思うことは結構ある・・・。)


っていうか、逆にそんなのイヤに決まってるだろってわかってやってるとしたらもう完全に「悪意、悪質」。



アタシの印象として裁判て堅苦しい感じだと思ってますが、裁判官とか裁判員に(殺人事件とかで「殺すつもりはなかった」みたいなこと言う人に対して)「じゃぁ同じことやってみていい?」って聞いてみて欲しいって思ってます。たぶん「イヤだ」って言うよね。