結果よりもスタートした時のことが知りたい。

【人間として恥ずべきことした 加害4教員謝罪の言葉 神戸・教員暴行】で検索すれば「加害者」側の先生の謝罪の言葉を読むことが出来るはずです。


今までにも書いてきてますが、報道って「こうだった」っていう結果というか、「今」を知らせることが重要なのかもしれないけど(「ニュース」とか「新聞」とか言うくらいなので)アタシ個人としては、「謝罪」という「結果」よりももっと前の「原因」みたいな「スタート」部分のこと(特に気持ち)が知りたいです。


謝罪文には「あってはならない事態を引き起こしてしまい」「最低な人間だと実感しました」「私の犯した行為は、許されることではありません」「自分の思いがあって接していたつもりです」とありますが・・・コレって「今」の気持ちですよね。
アタシはどういう気持ちでこの「いじめ」とやらを始めたのか、その時の気持ちが知りたいです。まぁきっと「ふざけて」とか「ノリで」みたいな軽い言葉で言い表されると思うのですが、個人的にはそもそもその「発端」がおかしいと感じる。
良い悪いではないですが、ハナから「気に入らなかった」みたいに言うならそれはそれで清々しいというか、その方が「そうだよねぇ」みたいにわかる気がしますが、なにかそういうベクトルではない言いっぷりに感じるのです。(強く言いますが、気持ちはわかってもフツーの人はソレをしない。当然ですが、アタシもソレはしない。)


なんだかなぁって思います。
そしてハッキリ言って非常に残念なのは、フツーはこの年齢まで生きてたら「こういうことは人間としてしちゃダメだ」みたいなのってやる前に考えてわかると思うんです。(まぁ考えないでやっていて、後になって考えるから今答え?が出ているんでしょうけど。)
そりゃぁ魔が差したり、自分でその気がなくてもうっかり誰かを傷つけたりっていうのは誰しもやってるかもしれないことです。でも、それって継続性のないことですよね。「あぁやってしまった」みたいなこと、アタシは結構色々な場面でありますが、それって同じ人に毎回毎回意図的にやってるわけじゃない。

でも、この先生たちはイヤだと言ってる人に対して何度も繰り返しやっている。
アタシはどうして被害者の先生に対してこういうことをするようになったのか、もっとスタートさせた時の気持ちと、途中で「自分のやっていることが本当に良いことなのか」考えたことが一度もなかったのかとか、そういうところが知りたいです。