違和感の正体

NHKの朝ドラをみています。
その中でまぁ主人公が今時ではありえないほど「家族のため」に頑張っています。まぁお父さんもお母さんも娘をアテにしてる感じ。


そんな様子に対して見てる人のコメントの中に「頑張ってる人の【足を引っ張る】のはやめて欲しい」みたいなのがあり・・・アタシが以前「女性が家族のために【犠牲】になる」っていうのがなんか違う、みたいに書いてるのと同じ違和感があり、その正体がわかったので書いておく。


昔は、というか世の中が貧しい時って「みんなで頑張る」みたいなのが「当たり前」だったはず。みんなで頑張るのが当たり前の中で、例えば自分がやりたいことを優先させたりすると「自分勝手」「我がまま」と言われたんだと思う。今は社会保障を頼るのが結構フツーという感覚かもしれないけど、昔は「自分のことは自分で」みたいな考え方が強く、例えば家が貧乏で学校に行けないみたいなのも「貧乏だから仕方がない」とソレがフツーだったはず。だから、例えば朝ドラの主人公みたいに働いてお給料をもらったとしても全部自分の稼ぎだから自分で使うみたいにはならない。(朝ドラではお母さんは働いていなかったかもしれないけど)お父さんの稼ぎと主人公の稼ぎを合わせて「家族」みんなが生活していく、みたいな感じ。ソレが普通だったはず。


で、この家族のことは家族内でなんとかするっていう感覚が当時はフツーだったように思うけど、今は自分(個人)のことは自分(個人)でって感じが強い。更にそれが無理なら社会保障がある、みたいな。(で、家族のためにお金をつかうのと社会保障ために税金払うのは似てると思うのですが・・・税金上がるのはイヤなんですよね、今時の感じは。)
昔は家族内でなんとかしようとしていたことを今は社会全体でなんとかしようとしている感じ。それが悪いとはいいませんが・・・そういうことを考えると今の「家族」ってある意味ボランティア以下の存在って気がします。


ボランティアしている人はアタシの感覚からすると本当に人間出来てると思ってます。自分から進んで誰かのためになろうとしている。
けど、そういうのが家族という集団の中では「犠牲」と言われるのがちょっと・・・。あ、もちろんイヤな言い方ですが、ボランティアは進んでやってるけど、家族の中のことは「やりたくもないのにやってる」というなら「犠牲」だと思いますが、なんかもうそこまであからさまに「イヤ」ならやらなくちゃいい→結婚もしなくちゃいい、みたいに思ってしまう。

なんていうか家族で「協力」ってことだと思いますがそれを「犠牲」という言葉に置き換えるなら、家族ってボランティア未満て気がしちゃいます。

っていうか、「協力」って言葉も今時流行らないのかな。