一方向からだけの気持ちじゃないのか。

今朝、テレビを見ていたら「イライラ」の解消の仕方みたいなのをやっていた。
最近のアタシはアタシ自身の意識出来るレベルでのイライラはそんなに感じていないと思っている。ただ、アタシのイライラポイントは「矛盾を感じる時」なので・・・ハッキリ言って解消の仕方はそうそうないと思う。(だから最終的には「そういうヒトなんだろな」ってところに落ち着く。)



それはさておき・・・テレビ見ていて子供に対して「何度言っても言うことをきかない」時にイライラするっていうのの解消方法を伝授してくれるという保育士歴70年以上?の方が働く保育園か幼稚園かの方針?に疑問を感じた。


「主体性を持たせる」ためになんでも自分で決めさせるっていう考え方。(だから保育士の方々は「全くイライラしません」とのこと。)


アタシの考え方として「選択には覚悟が必要」っていうのがあるんです。覚悟って大袈裟だなって思われるかもしれないけど覚悟しないで決めてると後になって後悔が出てくると思っている。だから選択する前には本当に死ぬほど考えなきゃって思っている。(もちろん悠長に考えていられない場合もあるのはわかります、ほんの一瞬の出来事に対応しなくちゃならない時なんかは。)
けど、たぶん子供なんて(というかまぁ保育園、幼稚園で命がかかるような重要案件はほぼないと思ってますが)「自分のしたいようにする」に決まってると思うんです。それを単純に「主体性」とか言うのはなんかなぁ・・・って思います。なんかアタシみたいな性格の人間からすると保育士側がラクをしたいだけっていうか、責任逃れみたいに思えてしまう。「やれって一言も言ってません」みたいな。あ、まぁアタシは意地悪なんだろうけど。


やれと言われたことをやってるだけが良いことではないけど、やれと言われたことが出来ないのも良くないと思うわけ。
集団行動みたいな時に「でも自分はやりたくないんで」でやらないで済むほど世の中簡単ではないと思うわけで。


そして、そういうこと考えていたら最近よく言われる「毒親」っていうのに結びつきました。
これを言う「子供」って全てを悟っているのか、よほど人間出来てるかのどっちかだと思うんです。
なにか親が子供に言う内容って子供に良かれと思って、子供が苦労しないように言うことが多いと思うんです。
よくある「ちゃんと勉強していい大学に入って・・・」みたいないヤツも。それだって、今時はいい大学入ったらしあわせになれるかと言ったらそうじゃないのはわかっているけど、でもそのほうが可能性として「普通な人生」を歩むことが出来るんじゃないかなぁって、そう思ってアドバイスしてるだけ。
それを「やりたいことやらせてもらえなかった」というのであれば「やらせてもらえなかったからやらなかった」ってその程度だったってそれだけのことじゃん。


なにか自分の希望が通らないっていう片側だけの気持ちじゃなく、反対側からの気持ちも考えることが必要だとアタシは思う。
やれって言われたことをただやるのがいいわけでもなく、やりたいことだけやってるのがいいわけでもない。