「名もなき家事」とか。

結局やらなきゃわからないということ。


新型コロナウイルスの感染防止のため在宅勤務になる人が多く「名もなき家事」っていうのが取り上げられてます。


あの・・・これって家にいて「普通の日常」をおくるには些細なことに対応する積み重ねが大事だってことに「気付けよ」ってことですよね。



アタシは「名もなき家事」って「家事」って言ってるけど、コレ社会生活全般においても言えることだって強く思います。(たぶん以前にもなにかで書いてるはず。)



「密」を避けるために地域の行事やPTA活動が中止になって「元々必要なかった」みたいに言ってる人達、こういう人達って目に見えることが全てなんだよなって思う。普通の日常をおくれて「当たり前」っていう考えの人達。
家事もそうだけど、自分がやらなくてもフツーの日常をおくれていてそれが「当たり前」だと考えている人達はソレを当たり前にするために見えないところで自分の時間を割いて頑張ってる人がいるってことにこれっぽっちも気付こうとしない。


家の常会は春と秋に清掃活動があるんだけど、今年は中止になった。
で、今歩道の草がそのまま伸びて結構大きくなっている。で、こういうのもたぶんお金出して業者にやってもらったらいいとか、市はなにをやってるんだとか、そういうこと言うんじゃないかって思っちゃうのです。
PTAの総会が中止になって文書がきたみたいなのも、参加しなくて「ラク」とか言ってる人はじゃぁその文書を作って配布したりみたいな「手間」に時間を割いてる人のことは考えてるのかって思ってしまう。


要するにみんな自分ではやりたくないしやらないけど、「ソレ」が「出来る」ことは「当たり前」っていう考え方なんだよね。
世の中自分の知らないことは多いし、知らないところでフツーのために頑張ってる人がいるってことをもっとよく考えたほうがいいと思う。