社会の効率化=家庭の非効率化→機械化

以前に今の世の中って「工場制手工業」だよなぁみたいなことを書いてるはずです。


色々なことが世の中の「その道のプロ」によって支えられてる感じ。



で、それはたぶん「効率」が良いから広まってきたんだと思うのですが、ここにきて社会の仕組みは「工場制手工業」にも関わらず家庭内ではソレをしてると「男女平等」みたいな絡みから「家内制手工業」が望ましいというか、望まれる?みたいなのがアタシの感覚からすると「なんかヘンなの」って思う。


相変わらずそういうちょっとした「矛盾」みたいなのが気になっちゃうのです。



なんというか、一般的な「主婦の仕事」みたいに思われてる「掃除・洗濯・炊事」(とか、まぁ「育児」とか)もダレがやると決まってるわけじゃなく出来るヒトがやるみたいなの。もちろん今時は家族全員働いてるんだからその時に出来る人がやるとか、はたまた「外注(総菜を買ってくるみたいなのも含めて)」とか、ソレをしてることに文句言いたいわけじゃなく、なんか「効率、効率、生産性」とかいうんだったら家庭内でソレを専門にやる人がいた方がずっと効率的なんじゃないかって思ってしまう。


で、そういうことを考えていたら「家庭」=「社会」とした時に効率を考えるなら機械にソレをしてもらうのが一番「安上り」なのかも、と思ってしまいました。例えば既にほぼ全ての家にありそうな洗濯機とか瞬間湯沸かし器(今時は住宅に「内臓」されてる給湯器?)とか、電子レンジ、炊飯器、食洗器などなど・・・まだまだ沢山あると思うけど、とにかく機械にやってもらう。



なんてことを考えていたら・・・今から3世代後くらいには洗濯物を干すとか食器を洗うことも「重労働」になっていたりして、「やったことないからやり方わかりません」みたいなことになるのかなぁ。
あ、もっと言ったら(これは3世代よりもっと先のハナシになると思いますが)「包丁なんて危なくて使ったことないですよ」って時代が来るのかも。



ソレが良いのか悪いのかは人ぞれぞれの感覚なんだろうな。