人間の精神(気力)の不思議。

精神(気力)と書いたけど、ひょっとするとデジタル機器の取り扱いに対する気持ちかも。
デジタル機器に対する慣れのハナシかも。


今って新型ウイルスが世の中に広まっていて、テレビやなんかで感染した人が「死にそう」とか「死ぬかも」と思った、みたいなことを「リアルタイム」で(←ここ、すごく重要!!)発信していたりする。


まぁ、気持ちのハナシなので本当に「死ぬ」って思うぐらいに「辛い」のだろうと思う。
特に今は感染者の数がものすごく多くなってきてるので、症状によっては(本人が軽くないと思っても、そして仮にその後最悪の結果になることがあっても)医療機関で受け入れてもらえないことがあったりする。
(でもそれはしょうがないことでもあると思う。無限に受け入れられるわけじゃないから。)


で、まぁ急激に症状が悪化するっていうのはメディアで取り上げられているから、本当に受け入れてもらえないまま亡くなったりしている人もいることは皆わかっていると思うんです。
だからそういうのを見てると「本当にこのまま死ぬのかも」みたいな気持ちになるのはわからないわけではないのですが・・・


SNSで「死ぬかも」みたいなことを発信している人達(あくまでも「リアルタイムで」ってところが重要)は結構「元気」なうちから「死ぬかも」って思うんだなと、なんだかギャップというか、もっと汚い言葉でいうなら「大袈裟だな」って思ってしまうのです。

たぶん「大袈裟」とか言われたら「なってないからそういうことが言える」って反論されると思うし、そう言われちゃうだろうこともわかるのですが・・・自分のこととして考えるに、具合が悪い時にとてもじゃないけどSNSで発信しようなんていう気になれない(それだけの気力がない)のです。
まぁ「スマホの慣れの問題」っていうのがそもそもあって、アタシなんかはスマホで文字入力するのもメンドーだなって思っちゃうぐらいなので「スタート」が違うっていうのはあると思う。


でも、ですよ、もうフラフラしてるような時にスマホで画像撮ったり(これは撮ってもらうってことじゃなくて自分で画像を撮るってことです)文字入力したりって・・・ホント、アタシ基準では出来ないです。相当元気でないと出来ないです。
生まれた時からスマホを肌身離さず持ってるような世代だと、もうスマホの画面なんか見なくても(キーボードのブラインドタッチみたいに)バンバン文字を打ち込めたり出来るのかな。
けど、文章考えるとかも、朦朧としてたらもう「文章」どころか「単語」も出てこないような気がするんだけど。


なので、ホント、疑ってゴメンて感じなんですが、SNSで「死にそう」とか言っていられるうちはまだ元気なんだな(軽い)と思わざるをえない。
たぶん、本当に症状が重くなって亡くなるような人は「人知れず」静かに亡くなっていくんだろうなと思う。


あ、まぁSNSの使い方は自由なのだろうから「死にそう」って発信すること自体が悪いわけじゃないと思うけど、それよりもっとやることがあるんじゃないの?って思ってしまう。
が、誰かに不安な気持ちを吐き出して気持ちを紛らわせるためにやってるんだとしたら・・・それはまさにリアルタイムで必要なことなのね。