新聞を読んでいて「教師によるわいせつ」っていうのが載っていました。
(これまでにも、わいせつじゃなくても犯罪を犯して逮捕されるというニュースは数多くあったはず。)
時代が違うと言われたらその通りですが、昔と今では「先生」に対する「価値観」みたいなのがもう全く違う。
(だって「先生」ですよ、昔は「先生」って、「先生」だったのですよ。←今の人にこう言ってもわかってもらえないと思う。)
昔の先生は(たぶん)本当に「人物」だったのだろうし、そういう人しか先生になれなかったんじゃないかと思う。
今は望めば誰でもが大学に行き、先生になることが出来る。もちろん簡単になれるわけじゃないし、最終的には公務員になれなければ「本当の先生」とは言えないのかもしれないけど、まぁ大昔にくらべたら「誰でもが望めばなれる」感が強い。
で、これってなんでなの?って考えた時に、大昔は「需要」が少なかったってことなの?って思っちゃいました。
そもそもの先生になれる人(大学まで行くような人、大学行かなくても先生になれたの?ちょっとわかりませんが)が少なく、更に厳選された人しか先生になれないほど先生という「イス」が少なかったのかなって。
(教える子供が少なかったのか、一人で大勢の子供を教えていたのか。)
今は色々やることがあるから先生の人数が多く必要で、そうなると失礼な言い方は承知で言いますが、人間性云々言ってられない(まぁそこを判別するだけの時間的な余裕もない)のかなって。
っていうか、大昔からこういう「わいせつ教師」っていたのかな?
アタシは田舎の小中学校で、たぶん「性」の対象として見られるようなカワイイ女の子じゃなかったからなのかもしれないけど、今まで生きてきてず~っとこういう先生には遭遇してないです。
これってラッキーだっただけなの?
だからこういうニュースみたいなのを見ると最近「増えている」印象が強いのですが、単純に大昔から表には出てないだけで(もみ消しとか泣き寝入りとか)実は大勢いたのかな。
今は先生って、なんというかフツーの会社員レベルの職業みたいな感じがしてる。
昔はまさに「人を導く」職業でフツーの会社員よりは「上」みたいな印象でした。(あくまでもアタシの印象です。)
時代が変われば・・・って感じです。