二極化

「出来る」か「出来ない」か。


なにか、以前にも書いてるような。
誰にでも簡単に出来るのは悪いことではないと思うけど、良いことばかりでもないような。



納豆についているタレの袋を切らないで押すだけでタレが出てくるって・・・イヤ、まぁ手も汚れないし指先に力を入れる必要もないし簡単だとは思います。指先に力を入れられない人にも優しいと思う。


ソレはそう思うのですが、なんというか、今まで「しょうがなし」やってたこと(面倒でもやらなくちゃしょうがなかったこと)って、ある意味人間の身体的な技術みたいなのを養う機会だったんじゃないのかなって思います。
そう思うんだったらアナタはやったらいいじゃん・・・て、その通りです。(そしてアタシは本当にやりたいヒト。)


けど、フツーはしょうがなしでも「やらなきゃならないこと」はやるけど、「やらなくてもいいこと」はやらないですよね。
そうなるとソレをやろうとする人は出来るようになるけど、やろうとしない人は出来ないまま。

別にそんなの出来なくてもいいじゃん、出来なくても生きていけるんだからって、そう言われたらその通りで、アタシは別にソレでいいと思うけど・・・みんなが「しょうがなし」でもやってた「時代」はレベルの差はあってもみんな「出来る」ことで、それが今は「しょうがなし」っていう状況がないから「出来る」か「出来ない」かのどちらかになっているような気がする。


たぶんこれからの未来はソレがもっと強くなって、出来る人はプロ並みに出来るけど、出来ない人は全く出来ないって、そうなるんだろうな。
だから出来ない人はお金を払って「プロ」に頼む。