世代間ギャップじゃなくて人間性に問題があるということか。

【父は使用済みナプキンを見て「ちゃんと捨てろ。汚ねえんだから」と言った】
(↑出来たら検索して内容を読んでみてね。)


なんとなく目に留まったので読んでみました。
アタシが「ざ・しょうわ」な人間であることは完全に認めるところです。だから今時の世の中の「女性」の感覚とは違うんだろうなっていうのも「ちょっと」はわかっているつもりですが、この感覚は「ちょっと」ではなくて、全くわからない(と言っても過言ではないくらい)です。
「え?」と思いました。


なんというか、他人から「汚い」と言われる(思われる)かどうか以前の問題として、女性として(←こういうのが「ざ・しょうわ」だとは思うが)見られたら「恥ずかしい」みたいな気持ちってないのかなって部分です。
今時の人の感覚なら「なんで恥ずかしいと思わないといけないのか」ってことかもしれないのですが・・・なんというか、アタシの感覚とすると(例えがズレているかもしれないけど)下着を見られる感じに似てるような気がする。
言っておきますが、アタシはもうおばあさんと言われておかしくない年齢なので、自分のブラジャーやらショーツ(昔はパンツと言っていた)を家族に見られたところでなんとも思わないですが、(特に)若い女性なら家族(父、兄弟)といえども見られたら恥ずかしいみたいな気持ち(恥じらい)みたいなのって・・・ないのかな、今時の人達には。


そして・・・使用済みナプキンて・・・他人から見たら「汚い」と思われても全然不思議じゃないというか、アタシ自身も、例えば不特定多数が利用するようなトイレなんかでメチャクチャ無造作に捨て置かれた使用済みナプキンを見ると「もうちょっとなんとか捨てられないもんなのかな」って、あまりいい気持はしません。世間の皆様はそう思わないのかな。
赤の他人と身内(父からして)じゃ感覚が違うのは当たり前?


そうかな。
アタシ自身はこのお父さんの感覚に近いので、今時の女性の感覚は「すごい」なと思いました。



記事の中に「元は私たちの体の一部だったのに汚いものになる」って言葉があるのですが・・・これもなんだかなぁと思います。
ずっと前のことですが、美容室で髪の毛を切ってもらった時に、美容師さんが床に落ちた髪の毛をまとめながら
「髪の毛って生えてる時(という言い方じゃなかったかもしれない)はキレイだけど、そこから離れた瞬間に『気持ち悪い』みたいな感じになりますよね」
って言ったんです。
これは本当だなぁと思って。


元々自分の一部だったとしても、純粋に「きれいだなぁ」みたいな気持ちにはなれないアタシって・・・人間性に問題があるってことなのかも。
(でも今更この「感覚」は変えられないような気がしてる。)