百姓

そもそもの意味とは違うのでしょうが、最近自分のやってることが完全なる「百姓」だなぁと思い、畑でしみじみ「百姓」を思います。


今時は「農家」とか「農業」とかいう言い方をすると思う。

「農作業」


自分がやってる農作業は・・・なんというか昭和初期みたいな、そんな感じです。
今時は家庭菜園向けの小さい耕運機みたいなのもあって、畑を耕すのに「機械」が使われている。(メチャクチャ羨ましい。)
けど、現状そういう「文明の利器」が家にはないため、しょうがないから完全手作業(っていうの?)です。
スコップ使ったり、鍬を使ったりして畑を耕している。そうして今の時期なら草取りも1本、1本手でとっている。


これだけ聞くと「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれないですが、ハッキリ言って家の周りのほぼ全ての畑が草が出てくると耕運機で耕している。(生えてる草も木端微塵)草もず~っと生えないわけじゃないから、また生えてきたなぁ、茂ってきたなぁというタイミングで耕運機。
ホント、羨ましいです。


で、そうやって、耕したり、草を取ったりしている時に思うのは、これって昭和初期(か真ん中辺りまで)は当たり前のことだったんだよなぁってことです。
家は田んぼはないですが、田植えだって、稲刈りだって、親戚とか近所の人とか総動員して人力でやってたよなぁ。他人の手を借りずには出来ないから、なんだかんだあっても「お互い様」とか「みんなで協力」みたいなのが当たり前だった。
(そして、子どもだって「農繫休暇」みたいなのがあり、その分夏休みが短かったり・・・。)


今は便利な時代になったもんだなぁ・・・。


そして、毎度お馴染み「腰が痛いなぁ」と思いながら、昔の田舎の年寄りが腰が曲がるのも無理ないよなぁっていうか、曲がって当たり前だよなぁと思っている。
いいか悪いかは別にして、昔の人の色々なことに対する忍耐強さに「すごいよなぁ」と思いながら作業をしている。
アタシには真似出来ない。