でしょ。

実家の母の話。

実家の母は独身時代から家計簿兼日記をず~っとつけている。(たぶん今もつけていると思う。)
かれこれ60~70年。


そんな母がここにきて身辺整理をしており(もちろん家計簿兼日記のみならず持ち物全て)どうやらつけ続けてきたノート類をすこしずつ処分しているらしい。


以前からアタシが老後に向けて?身辺整理をし始めていて、特に日記とか写真とかは残された人にとっては本当に処分するのが面倒だからちゃんとしておいた方がいいよというハナシをしてきていた。(アタシの経験から。)


そんなわけで、少しずつ処分しているというのを聞き「今まで何十年も仕舞っておいて、ソレ、見返したことあるの?」と聞いてみたら・・・「見返すような時間ないからつけてるだけ」みたいな返事だった。
そうそう、そうなんだよね。
日記とか家計簿とかって「つける」こと自体に意味があって、とっておくことには意味がない気がする。
日記をつけることによって自分の考えがハッキリしたり、他人に話せないことでも言葉にして吐き出すことでスッキリ出来たりっていうのはすごく良いことだと思うから、それ自体に意味がないとは全く思わないんだけど、それを仕舞っておくことにはあまり意味がないと思う。もちろん、例えば100年後の人が見た時にその「時代」がどんな時代だったかっていう資料としては役立つかもしれないけど、正直そういうのは保管場所とか後々の処分費なんかを気にせずに生活出来てる人にお願いするとして、そうじゃないアタシみたいな人間には意味がない気がする。

家計簿も同じで、収入支出の内訳とかを知りたい場合には役立つと思うけど(それを参考にして節約するみたいな未来に向けての話)何十年も前の家計簿を見たところで単純に懐かしいみたいな楽しみはあるかもしれないけど、その懐かしさも「見返して」見てこそ。

結局見返さない日記も家計簿もつけた時点で(まぁつけた時点より多少後の時間もあると思うけど)その役割を終えているような気がする。
(くれぐれも「過去の参考」としての資料的価値以外の話です。)


というわけで、たぶん少し前に書いている「アタシにとってのいつかはこない」みたいなもので、見返すことをしない人間にとってはとっておくことに意味がない気がしている。


そんなような話を母にすると・・・「そうだよなぁ、本当にそう」と言われ・・・
「でしょ!」と応えた。


世の中、真面目に日記や家計簿をつけている人が多いんじゃないかと思うけど・・・ある程度まできたら処分したほうがいいよってアタシは思います。(とはいえ、明日死ぬこともあるわけで、アタシもそういう意味ですぐには死にたくないなぁ。身辺整理出来てから死にたい。)
まぁ、趣味のハナシなので余計なお世話だとは思いますが・・・とっておく人は満足でも、それを残された人は本当に困るから。
(捨てればいいだけと思う人もいるかもしれないけど、今は処分するのにもお金と時間がかかる。)