二極化

「出来る」か「出来ない」か。


なにか、以前にも書いてるような。
誰にでも簡単に出来るのは悪いことではないと思うけど、良いことばかりでもないような。



納豆についているタレの袋を切らないで押すだけでタレが出てくるって・・・イヤ、まぁ手も汚れないし指先に力を入れる必要もないし簡単だとは思います。指先に力を入れられない人にも優しいと思う。


ソレはそう思うのですが、なんというか、今まで「しょうがなし」やってたこと(面倒でもやらなくちゃしょうがなかったこと)って、ある意味人間の身体的な技術みたいなのを養う機会だったんじゃないのかなって思います。
そう思うんだったらアナタはやったらいいじゃん・・・て、その通りです。(そしてアタシは本当にやりたいヒト。)


けど、フツーはしょうがなしでも「やらなきゃならないこと」はやるけど、「やらなくてもいいこと」はやらないですよね。
そうなるとソレをやろうとする人は出来るようになるけど、やろうとしない人は出来ないまま。

別にそんなの出来なくてもいいじゃん、出来なくても生きていけるんだからって、そう言われたらその通りで、アタシは別にソレでいいと思うけど・・・みんなが「しょうがなし」でもやってた「時代」はレベルの差はあってもみんな「出来る」ことで、それが今は「しょうがなし」っていう状況がないから「出来る」か「出来ない」かのどちらかになっているような気がする。


たぶんこれからの未来はソレがもっと強くなって、出来る人はプロ並みに出来るけど、出来ない人は全く出来ないって、そうなるんだろうな。
だから出来ない人はお金を払って「プロ」に頼む。

たぶん「敏感」な人にはややこしい「呼称」のハナシ。

「敏感」な人と書いたけど、単純に「感情」のハナシかなと思う。


義理の親(夫の親)からの呼ばれ方(本当に呼ばれるのと、誰かに紹介されるの)について。
今時だから「嫁」とか言うのは論外だと思う。(アタシは別に便利な呼称と思っているのでイヤでもなんでもないです。)

では、なんと言ったら良いですか?


フツーに「息子の妻」ですって言ったらいいじゃんてことなのかな。
なんかいちいちメンドクサイ。
けど、この辺りはまぁソレがいいっていうならそうします。


では、本人を呼ぶ時はどうしたらいいですか?
親の方は「本当の娘」だと思って呼び捨てにしたとしたら絶対に「アンタの娘じゃないし!」って思うんじゃないの?
(あくまでも血のつながった家族じゃないから名前に「さん」を付けて呼んで欲しいのかな。)
一方「おとうさん、おかあさん」と呼んでる時も心の中でいつも「本当のおとうさん、おかあさんじゃないし」って思ってるのかな。
なんかホント、メンドクサイ。


こういうこと言ってる人達って、例えば結婚した兄弟の話題ではいちいち「兄の妻」とか「姉の夫」みたいに呼んでるのかな。
アタシは慣れない頃「弟のお嫁さん」とか言ってた時期があったのですが(もう何十年も前のことです)よくよく考えたらソレって妹ってことじゃないの?と思い、それからは「妹が・・・」というようにしています。別にわざわざ「義理の」とか付けなくても妹だよね。

あ、もちろん人間関係(続柄)が必要な時は「義理の」って付けますけど。