檻の中で生活しているみたいな感じ

今日は用があったのでいつもと違う道を通って帰ってきた。ちょうど下校時刻にあたったみたいで、ランドセルを背負った小学生が大勢歩いていた。それで、一応市街地?で車の通りも多く、まだ明るいので人もそれなりに行き来している。そんな状況なんだけど、あちこちに「通学路パトロール」?みたいな襷をかけたボランティアの人達が立っている。みんなで子供を守ろうっていうことなんだろうし、今の世の中は物騒なのできっと親もそういうのを有難いことだと思っているに違いない。それに子供達にしてもそうしてもらえれば安心(心強い)だろうと思う。


でもなぁ、なんかすごく窮屈な感じがして、なんか立場が逆転してる感じがした。

なんていうの?例えばさ、ライオンが檻の中に入っていて人間が外からライオンを見てるっていうのの逆で、人間が檻の中にいてライオンが檻の外にいる感じ。確かに檻の中にいればライオンに食べられることはないだろうけど・・・なんかなぁ・・・。



それにしてもなぁ、いつから世間はこんなふうになってしまったのかなぁ。私はさ、基本的に「世間体」とか「体面」とかいうものは必要だし、大事なことだと思っているの。昔の日本が(とか言っても私もそんな昔の日本を知っているわけじゃないけど)それなりにキチンとしていたのはそういう「縛り」があったからじゃないのかな。
「本音」と「建前」があることがそんなに悪いことなんだろうか?私は必要なことだと思っている。
なんでもかんでも「個性」とか「自由」とかいう言葉でキレイに聞こえるようになってしまっていて、でもそういう言葉の一方の端には「責任」とか「義務」とかいう重い言葉が結ばれていることは見えていないのか、見えているのに見えないフリをしているのか全然問題にされない。