「愛着=物欲」なのかな。

今朝のラジオで「サブスクリプションビジネス」についてやっていた。


アタシはこの言葉は初めて聞いたけど(っていうか、聞いても忘れてるのかもしれない、今回もたぶん忘れる)話しを聞いていてアタシが「あぁ、そういうサービスのことか」ってなんとなくわかったのが「月額いくらでブランド品借り放題」みたいなヤツ。(同じかどうかわからないけど車のメーカーがやってる3年間乗ってその後は別な車に変えてもいいよ、みたいなのもそうなのかなと思いました。)



そうそう、例に挙げられてたのの中に「月額いくらで車(高級車)が借りられる」っていうのがあって、レンタカーとどう違うのかって「わ」ナンバーじゃない、要するに「借りてる」ことがわからないで自分のモノみたいに使えるってところがいいということらしい。


アタシはまぁ良く言えば愛着を持ってモノを使いたいんです、悪くいえば執念深く貧乏臭いだけとも言えますが。




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ラジオの内容とは全く違いますが、ネットの記事で【なぜ親は着なくなった子どもの服を着るの?】っていうのを読みました。(興味があったら読んでください。)
その中で


↓こんな文章がありました。

衣服に対する考え方の違いが関わっています。
高齢の親の中には、幼少の頃、普段の衣服は「お下がり」をもらって着るものだったという人が多いはず。
本当に特別なときだけ、新しいものを買ってもらえるというスタイルだったのです。
そんな時代を生きてきた親にとって、最近のファストファッション(短いサイクルで販売する、安価な衣服)はなじみがありません。
破れたところに継ぎを当て、長く着てきた高齢者にとっては「破れてもいないのに、捨ててしまう」という感覚がよくわからないのです。
ジャージは丈夫に作ってありますし、着ていてラクですから、そんな快適なものをわざわざ捨てるのはもったいないと考えるのでしょう。
ものを大事にしていた時代の精神が、まだ高齢者には残っているのです。

↑ここまで。


まさにコレです。
「破れてもいないのに捨ててしまう」っていう感覚は「全く」わかりません、「よくわからない」ではなく「全くわからない」です。
っていうか、そもそも買う時点で本当に気に入って買うし、当然そういう気持ちで買ってるので使ってるうちにもっと「好き」になってくるんです。
個人的にはそういうのを「愛着」っていうのではないかと思うのですが。
(まぁ学校指定のジャージに愛着もなにもあったもんじゃありませんが。)


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で、思ったのです、ホント厭味な言い方だっていうのは承知ですが、「月額いくらで高級車が借りられる」って、「愛着」の対極でそのモノに対する気持ちよりは純粋な「見栄」だけのためみたいな気がする。あ、もちろん自分のモノとして持っていたとしても「見栄」っていう部分は多少なりともあるような気はします。けど、やっぱりなにか「愛着」ははるか遠くにある気持ちって感じがします。
っていうか、そういうことを考えると「愛着=物欲」ってことなのかなぁとも思います。






アタシ、普段ほぼアタシしか乗らない車をほぼ毎日運転してます。
もうちょっとで17年くらいになる古くてあちこちガタがきてるような車ですが、本当に気に入っていて、出来れば動かなくなるまで乗り続けたいって思っています。
アタシの気持ちもわかってくれてると勝手に思ってる。(←フツーにヤバイ奴って感じですが・・・。)
だから運転してる途中でも「ふふふ、カワイイ・・・」って嘘偽りなく思っている。


これからの世の中には「愛着」なんて言葉も死語になりそう。