特に考える必要のないことですが

ほぼ毎日、真夜中の空を見ていて「きれいだなぁ」とか「すごいなぁ」と思っていると書いている。
本当にすごい空なんだけど、自分にはそれをただ一言「すごい」としか言うことが出来ないのが本当に残念でならない。その程度の貧弱な語彙しか持ち合わせていないことが悲しくなる。
そういうことを考えると、本当に自分の目で見てるのとほぼ同じような画像が撮れたらなって、心底そう思う。それと同時に人間の目は本当によく出来てるなぁと感心する。だってそうでしょ。私が人間の中で特に優れた目を持っているというのならいざ知らず、たぶん本当に普通程度の能力の「目」なのにさ、フツー程度のカメラやデジカメはそれに及ばないんだから。



ところで、いつも本当に「すごいなぁ」とか思っているんだけど、それは私が安全な地上にいて空を眺めているから言えることなんだろうなって思う。何十年か何百年か後に人が宇宙に行けるようになった頃には、今の人達が海外旅行に行ってるのと同じくらいな感覚で行けるのかもしれない。けど、例えば(有り得ないことですが)今私が宇宙に行けたとしたらスペースシャトルとかで船外活動とかしてる人達みたいなのを想像するわけですよ。宇宙服っていうんですか?そういうのを着て命綱みたいなので船と繋がってるみたいな。
もし、今、あたしがあの状況におかれたとしたら・・・たぶん自分の中に入ってくる情報が多すぎてそれを処理出来なくて気が狂うんじゃないかなって思う。自分の今までの人生で経験したこととか想像してきてることとか、そういう色々なことをひとつひとつ照らし合わせるみたいな・・・そういう処理が間に合わなくなりそうな気がする。そういうことを考えると実際に宇宙飛行士の人達はすごいよなって思う。


まず、足元に何も無いっていう状況が自分には理解出来ない気がする。こわいだろうな。



あとね、そんな状況が更に悪化し・・・命綱的なものが切れてしまったら・・・ま、死ぬことになると思うんだけど・・・めちゃめちゃ怖いでしょ、一人ぼっちだよ、本当にひとりぼっち。もし仮に生命維持装置みたいなものが永久に働き続けるとしても、とにかく一人なんだよ、つかまるところもなければず〜っと流れているだけ。怖いだろうなぁ
あたしは人間出来てないから、そういう状況の時に「きれいだなぁ」なんて思えないと思うんだよね。例えば川や海とかで流されて溺れかけてる時に「きれいだなぁ」なんて思えないと思うし、雪崩に巻き込まれた時に「きれいだなぁ」と思えないのと同じで。



結局、自分が安全なところにいる時にだけ「きれいだなぁ」とか思ってるだけなんだよな・・・って、なんだか思うことにちょっと罪悪感を持ったりしてる。