日本語授業第3弾!おもしろい日本語/金田一秀穂氏 文化講演会

長野市生涯学習センター利用者50万人達成記念ということで行ってきました。(自分はほとんど利用してないのにこういう時だけ・・・って、ちょっと後ろめたいような気がしますね・・・。)


お話はとっても面白かったです。流石に大勢の人の前で話すことを「仕事」にしている人は「話すこと」が上手いなぁと思います、内容もそうだけど話しのまとめ方とか。(あ、こういう言い方はすごく上から目線な感じですが、決してそういう感じで言いたいわけじゃありません。そういうことを表す上手い表現が浮かばないだけです。)


話はどこも、どれも面白かったのですが、中でも「そうそう、そうだよね」と思うことをちょっと書きます。(もちろん大雑把です。)




「国語」ってそもそも点数がつけられるようなものじゃないから、漢字というハッキリ点数のつけられるものがテストに出されるわけだけど、そんなに難しい漢字が読めても意味がない。漢字は見て意味がわかることが大事なんです。


*この話で出た例です。


大人、小人(おとなは読めるけど、これ、なんと読みます?こどもとは読まないですよね?でもこどものことだろうなぁと大抵の人はわかるはずです。)
父娘で散歩した。(なんて読みます?おやこって読みますよね、そしてそれが父と娘だとわかりますよね。)



あと、敬語について「なるほどなぁ・・・」と思ったのは、言い方を丁寧にしていくとそれはドンドン強くなっていって、最初はお願いだったかもしれないのが最終的には命令になって強制になっていくという話し。
「一生のお願い」なんて頼まれたらそれをイヤだと断ることなんて出来ないというのです。



はぁ〜・・・・、アタシはコレ結構やっちゃってるかもなぁと思うと、アタシは自分ではそういうつもりはないのだけど、言われてる側は強制されてるように感じてるのかぁ・・・とものすごく反省というかマズイなぁ・・・と思いました。ホントにヤバイです。
あと、敬語については半人前が使うもんではないそうです。敬語っていうのは自分が一人前になった、一人前になっていて初めて使って良いもんなんだそうです。ちょっと違うかもしれないけど身の丈にあった、分相応な言葉を使うのが正しいってことなんじゃないかと思いました。
(アタシはなんかこれを聞いてる時にブランド物を想像してしまいました。)



この敬語についての話の中で「天皇陛下にしょうゆをとってもらいたい時にどうしたらいいか」っていうのがありました。この場合、一般人の自分が天皇陛下に頼みごとをすることは「出来ない」ことなので、「とって欲しい」ことに気付いてもらうのが一番いいらしいです。なので言葉としては「しょうゆをとってください」みたいなことは言えなくて「しょうゆ・・・」と曖昧にいうのがいいそうです。そうすると一般的には「あぁ、しょうゆが欲しいのかな?」と察して(こういうのって小さいかもしれないけど思い遣りですよね?)とってくれるというのです。しょうゆが欲しい側からすると別に頼んだわけじゃなく、言われた側からしても頼まれたわけじゃない。そしてとってもらった後はいくらでも「有難うございます、死ぬほどうれしいです」と感謝すればいいというのです。
一見丁寧じゃないように見える言葉がみんなを幸せに、まぁるく収めてるわけですね。


この時、察する気持ち、思い遣る気持ちがなければ「しょうゆ」って言われて「そうです、これはしょうゆです」って問答で終わってしまう。
本当に「気持ち」って大事です。




あと、エレベーターの中での話しが面白かったです。
外国ではエレベーターの中で話しをしなくちゃいけないそうです。本当にどうでもいい話です。それを聞いたからってどうなるものでもないことで構わないから話さなくちゃいけない。それは自分は怪しいものじゃないということを知らしめる、相手と仲良くなる(親交を深めるとかいうレベルの話ではないですよ)ために「絶対」ぐらいに必要なことらしいです。けど日本人(日本国内?)はそんなことはしないですよね。(世界基準?としては話をすることの方が普通らしく、話をしないのは日本とミャンマーだけとか言ってたはずです。)日本人は基本的に知っている人とは話をするけど知らない人とは話をしない「ことになっている」らしいです。


コレ、なんかすごくよくわかります。
イヤな表現かもしれないですが、結局排他的なんじゃないですかね。もっというなら「島国根性」というか・・・鎖国してたから?
まぁ日本国民はそもそも人見知りな性格なのですよ。


で、この話から英会話についての話になって・・・日本人のこの「知らない人と話をしない」っていう姿勢から変えていかなければ英会話は出来るようにならない・・・みたいな話もありました。
全く同感です。誰とでも話せる、話そうという精神?がなければ会話なんて上手になっていかない気がします。気持ちの問題。
だからよく聞きますよね、旅先で本当に困ったことがあるともう人見知りな気持ちなんかどこかにいって必死になるから英語なんか出来なくても「通じる」って。
たぶん日本人はそこまで「必死」にならないと「他人」に話しかけようって思わないのですよ。外国の人たちは「気軽」に誰にでも話しかけられるのに。これは語学にとってはものすごく高い、高い壁だと思います。



誰かと話す時、言葉はその人の印象の30%程度でしかなく、仕種や表情の方がずっと大事だそうです。そして誰かが誰かと会話しようとする時、本当にタメになったり、新しい情報だったりなんていうのはそうそうあるものじゃない。ではなぜ会話をするかというと、それは「あなたのことが好きだ」ってことを伝えるために他ならない。どうでもいいことをなぜ話すかって、問答だったら「はい」「いいえ」で終わってしまうことをなぜ会話にするのか、相手のことを思い遣りながらどうでもいい会話をするのは「好きだ」ということを伝えたいからなんだって。
キライな人と会話したいと思いますか?遠くにキライな人が見えた時(相手が気付いていなければ)見なかったフリをして顔を合わせないようにしませんか?話したくないから。




ホント、お話自体が面白く、一方で自分自身のことをものすごく反省しました。
はぁ〜・・・アタシはナリばかり大人で、歳も十分過ぎるほどとってますが、まだまだ一人前には程遠い気がします。当然敬語もバッチリ使わなくちゃいけない状況にあるわけですが・・・使う資格はないような気がします。あ、実際使えてないですしね・・・トホホ。