ボーダーライン

アタシって基本「考え過ぎ」っていうのは最初からわかってます。
(たまに娘なんかに「こう思うけどどう?」みたいに聞くと「そんなこと考えてるの?考えたことないからわかんない。」みたいに言われます。)


で、これも本当に考え過ぎというか、そんなこと考えてどうするの?っていう内容なのですが・・・・





人間の世界での善悪というか、イイコトとワルイコトの線引きって誰がどう決めたの?
イヤ、そんなこと知らなくても普通に暮らしていけるって思います。
そんなのは自分だって今まで生きてきてわかってます。
でも、気になる・・・・あ、たぶんアタシの考えが変わっているというか、あまり他人に賛同してもらえないから気になるのかも。



自分の中では「他人に害を及ぼさない」こと以外なら本人が納得していればそれでいいんじゃないの?それが「正しい」道なんじゃないの?って思っています。
でも、なんか世間の正しい道は「頑張る」ことにあるような気がする。あ、アタシも人の頑張りっていうのは大事なことだと思うし、そういう頑張りは認めてあげたいし、認められるべきだって思っています。
でも、なんていうか・・・人間て都合が良過ぎるんだよなぁ・・・ってソコが不愉快っていうか・・・納得がいかないんです。



ソレの最たるものが命というか生死観なんだけど・・・世の中って頑張って長生きするのが「イイコト」みたいになってませんか?あ、こういう言い方すると「早く死ぬのがイイってことかよ」って言われるかもしれませんが、そういうことじゃありません。長生きしたい人は出来るように頑張ればいいし、一方で早く死にたい人は早く死ねたらいいねって、そういうことです。
あ、こう書くとまるで自殺を肯定しているみたいに思われるかもしれないので言っておきますが、アタシは自殺は良くないことだと思ってます。上手く言えませんが、命って自分のものじゃなく預かってるものだと思っているんです。誰から?って聞かないでくださいね、それは自分でもわからない。でもやっぱり神様かなぁ・・・?(アタシは宗教はやっていませんが、神様はいると思っています。)


だから自分の運命というか(アタシは運命とかいう言葉は好きじゃないし使いたくないのですが)「今」を全うすることは大事だと思っていて、その「今」を自分の手で最後にするのは良くないことだと考えています。
だからアタシは頻繁に死にたくなりますが、自殺は絶対にしません。けど早く死にたいとは思っている。





頑張って「何か」を乗り越えること「だけ」がイイコトみたいな「世間」に生きるのが大変過ぎる。




普通の毎日の中で「まぁいいか・・・」って頑張らないことって全くないですか?
アタシはここでも書いてるように真夜中のジョギング&ウォーキングで、自分の好きでやっていることですら「はぁ〜・・・今日はもう眠くて出られない・・・まぁいいか・・・」って出ないことがしょっちゅうあります。
これって無理にでも頑張れば出られるかもしれないけど、まぁいいかって頑張ってないんです。
けど、病気なんかにかかると頑張って治療するのが当たり前ですよね、たぶん。自分が頑張りたくない、頑張れないんだからしょうがないじゃんて、ソレで納得してもらえるのかな。アタシ、そのまま死んでいきたいんです。あ、痛いのはイヤだけど。




アタシの中で神様は神様だけど、神様だってこんなに多くの人間の面倒見ているんだから分量を間違えちゃうことだってあるんじゃないかなって思っています。
まぁよくある表現でいうなら「試練」てことじゃないかと思います。「これくらいだったら乗り越えていけるだろうな」っていう分量を人に与えた時にそれを乗り越えていける人といけない人が出てくると思いますが、世間では乗り越えた人は褒め称えて、乗り越えられなかった人に対しては冷たいじゃないですか。でもそれってたまたま分量を間違えちゃっただけじゃないかなって思います。
「努力が足りない」とか「頑張ってない」って簡単に口にしますが、そもそもソノ基準てなんですか?




なにか、上手いたとえが浮かびませんが、例えば家族みんなで車に乗って出掛けていた時に事故で自分だけが生き残った・・・みたいなのがあったとして、その人が肉体的にも精神的にも衰弱して後を追うように亡くなったとしますよね。その場合、その人の頑張りが足りないってことですか?アタシはそうは思わないです。その人が乗り越えていける以上のものが配分されてしまったってことじゃないですかね。
頑張りが足りないってその人のこと責められます?
逆に同じ状況で、その後しあわせな人生を送る人だっているでしょう。それはその人にとって乗り越えていける分量だったってことで、どっちが良くてどっちが悪いなんて誰に決められます?




アタシは毎日何かに努力して頑張って生きている立派な人間ではないけど(ないから?)何時死んでもいいかなって思ってます。
なんかこう書くと全く「無欲」で生きてる人みたいだけど、そうじゃなくて、「欲」が完結してる感じなのかな。自分の出来る範囲でしたいことして、出来ないことは出来なくて・・・それで納得している。


あ、「今」死ぬにあたって心残りがあるとしたら・・・自分の身辺整理が出来てないことぐらいかな。





でもね、「憎まれっ子世に憚る」って言葉があるくらいだから、アタシ100歳ぐらいまで生きるような気がしています。
(今生きてる100歳の人に対して「憎まれっ子」と言いたいわけじゃないですからね、念の為。)