我慢の必要がない世の中

少し前でに「溜められない文化」ってタイトルでも書いてますが、今の世の中って「我慢」ってことも不要な世の中ですよね。
「不要」っていうか・・・「我慢してもイイコト無い」みたいな感じ。




あの・・・コレも別に書いてるはずですが、なんでもかんでも便利、便利ってラクな方へ、ラクな方へって行ってると思います。
たぶん、そういう「不便だなぁ」っていうことを「克服」?することで文明が発達してきてるはずだから、そういうことを全て否定していたらみぃ〜んなサルのままってことになっちゃうわけで・・・どこまでならいいか・・・みたいなのもアタシにはわかりません。



けど・・・なにか、なんでもかんでも思い通り、人間の希望通りっていうのは・・・アタシはどうなのかなって思ってしまいます。
普段のまぁどーでもいーことについてもそうですが、生命に関わるようなことについては特にそう思います。



長生きについてもそうだし、不妊治療みたいなことについてもそうだし、とにかく何処までっていうのは素人のアタシには言えないことですが、もっと専門家だったら「ここまでならいいよ」っていうのをキチンと決められないもんなのかなぁって思います。
人間の価値観て人それぞれだから、例えばお金が沢山あれば幸せだって思ってる人にいくらそんなことないんだよって言っても意味がないってアタシは思ってます。だって、本人がそう思ってるんだから、イヤ、アタシはそうじゃなくて、こういうのが幸せなんだよって言ったところで全くわかってもらえないと思う。もちろん逆も然りです。
だから、なにがなんでも長生きしたいって思ってる人のその生に対する情熱も、子供が授からなくて、でもなにがなんでも子供が欲しいって治療に励んでいる人の情熱も、アタシにはよくわかりません。なぜ、そこまでそう思うのか。



人間の欲望にはキリがなくて・・・でも手に入れられないモノも沢山あって、その手に入れられないモノに対して我慢するのって、アタシは大事なことだって思っています。
なにかのヒーローやヒロインはなにかを犠牲にしたりはしなくて、その「ガンバリ」で全てを手に入れようとして、そして実際に手に入れることが多いですが・・・果たして今の世の中の全ての人にソレが可能なんでしょうか。



アタシは不可と思っています。