本来の目的の優先順位が・・・

ニュースじゃないです。ネットの記事で読みました。(「PTAで仕事をしない権利を1万で売ればいい」で検索すればヒットすると思います。)



まぁザックリまとめるならPTA活動に参加したくない(出来ない)人が参加しない代わりに1万円出すよってハナシ。
で、集まったお金は参加した人に支払うとか、参加する人がいないならプロを雇えばいいじゃんてハナシです。
(まぁ地区の清掃活動なんかでは参加出来ない人は「出不足金」を払うなんていうのがありますが。)




なんかなぁ、こういう話しが出てくるともう義務教育とかなくていいんじゃないの?とか思っちゃいます。
表現としてどうかと思いますが、なんでもかんでもお金で解決しようって感じがする。
ハッキリ言って気持ちはわからなくもないです。今は仕事してる人も多く、そんなに簡単に仕事休んだり出来ないよっていうのは。



でも、そもそもPTA活動って活動自体よりも「子供のため」だったり「先生と親の意思疎通の場」っていう意味合いの方が強いのではって思っています。(でも、この辺りは田舎なので小中学校で資源回収とかあるのですが、それで何十万だか何百万とか利益が出ていたりするので経済的にも重要なのかも。)
アタシ思っちゃうんですよね。
なんの仕事でもそうだけど、仕事の現場を見てないと「大したことない」みたいな感じになって、逆に「自分の仕事はこんなに大変」みたいになる。先生なんてものすごく大変な仕事だけどホント、文句言われること多いじゃないですか。(まぁプロだから文句も言われちゃうんだろうけど最近は本来家でやるような躾みたいなことまで要求されたりして。)
あと、人となりとかって接してみないとわからなくないですか?なんの接点もないまま、例えばいじめみたいなハナシになってもまったく知らんような先生にうまいこと相談とか出来ます?
日ごろから先生と話しをする機会とかあったら無闇に文句ばっかり言ったり即教育委員会みたいなこともなくなると思うんだけど。
「親にだけ関係ある」PTA活動みたいな感じでピンポイントで論い過ぎなのでは。



なにか、学校行事とかPTA活動に参加してないような人ってなにかあった時には一番最初に文句いいそうなんだよなぁ、先生、学校はなにをしていたんだって。(まぁアタシの勝手な印象ですが。)全くなんにもない平穏な時はなんでもかんでもお金で他人任せでいいかもしれないけど、そうじゃない時のためのPTA活動なんじゃないの?
(まぁ多くの場合何事もなく過ぎることが多いのが現実で、もっと言ったらPTA活動じゃなくても先生との接点を増やすことは可能なのかもしれないですが、でも行事みたいなのじゃなく「個人」で接点を多くするのは難しいのでは。)



アタシ、「1万で売れば」って書かれてますけど、もし本当にお金で解決しようっていうなら年間50万前後くらい出してトントンくらいじゃないかって思います。それだけ出してもPTA活動したくないっていうならそれまでなんじゃないですかね。(簡単に仕事休めないようなバリバリ仕事してる人なら年収の1割、2割くらい出してもいいんじゃないでしょうか、子供が義務教育?受けてるっていう期間限定なんだから。)
で、一方でそれだけ出すんだったらもう義務教育じゃなくて、もっとビジネスライクな「塾」でいいじゃないですか。
授業料払って、施設の管理費(PTA活動しない権利)払ってみたいな感じで。



なんかなぁ、ホントアタシはこういう話しを聞くと世の中すべて、子育てすらも「工場制手工業」になっていると感じる。
たぶん義務教育が始まった頃って「学業」っていうのかな「勉強」って部分だけがそうだったんだと思うけど、今はもう保育園・保育所の時期の子育てからすべてが「工場制手工業」に変わっていってるような気がする。
自分でやらないから代わりにお金を出して、子育てを専業にしてるプロがそれを引き受けてるみたいな。



ちなみにアタシの場合というか、この辺りは本当にダメな人、例えば介護していてどうしても参加はムリとか子供がまだ小さいとかっていう人は参加しなくても良かったです。けどそれは順番が後回しにされてる感じで時期がくれば「そろそろお願い」みたいな感じでした。



全てをお金で解決したくなる世の中。