「愛」じゃなくて「信用」なのかも。

以前にも書いてると思いますが、更に進んだ感じで改めて。



断捨離とかミニマムな暮らしとか、ハッキリ言ってアタシとは完全に相容れない世界のハナシと思ってます。
で、たぶんですが(まぁ断捨離はびみょ〜な部分もあるとアタシは思ってますが)モノを少なくして暮らしている人、必要な時がきたら必要に応じてモノを借りようと思っている人達にはその「モノ」に対する「愛」はないんだろうなと最近強く思うようになってきている。


アタシは自分の車を運転している時も(もう16年、17年くらい経ってる古い軽です)「一緒にいる」感じで運転していて楽しいし「可愛いなぁ」ってメチャクチャしあわせな気分です。洋服にしても、腕時計にしても優柔不断なアタシがメチャクチャ吟味した結果買っていて、ものすごく気に入っています。
だから数年に一度しか着なかったり腕時計によっては使うタイミングがなかったりでなかなか出番がないのもあります。
でもそれを手放そうとは思わない。(だから当然ですが他人から見たら処分したら?って思われそうな持ち物が沢山あります。)




最近、高級な車とか高級な腕時計とかを気軽に楽しむためなのか、まぁ最終的には気に入ったら買って欲しいってことなのかその辺りはわかりませんが、そういうのを借りられる「サービス」が出来てるみたいです。




ふぅ〜ん・・・・って感じです。
車の一泊二日試乗とかっていうのとはまた違った感じがして(レンタカーみたいなのとも違うと思う)今の世の中的に「自分のもの」として対象に「愛」を注ぐみたいな、そういうのって流行らない感じなのかな。


そのメーカーとかブランドとかに対する「信用」があって「シェアする」みたいな感じなのかなぁって思います。
モノとしての実用性みたいな、モノとしての価値に対する期待?みたいなのはあるけど「愛」はないような。
だからもう「愛着」なんて言葉も今後死語になるかもなぁ。



っていうか、書いてて思った。
男女の関係も「愛」なんてよくわからないものよりも「信用」が優先されるのかもな、今の世の中は。