「GIFT」って難しいと思うよ

今週の「カフェイン11/bayfm78」でポルノグラフィティ新藤晴一さんが「GIFT」について話しておられる。



あきらかに人よりも秀でている人っているけど、それはギフトだよ。
それは一つ目のギフト。
そこからそれを延ばした人が本当のギフト。
努力することと、努力するやり方をやっている人がギフト。
(↑だいたいこんな感じの内容だったはず。)



確かに。



でも、あたしはもうちょっとひねくれた、現実的なことも考える。「ギフト=好き」じゃないとダメじゃないかって。
例えばですよ、プロのスポーツ選手ってもう一つ目のギフトはもらってるわけですよ。
でもね、例えばその人に野球の才能があったとして、でも野球が嫌いだったらどうかってこと。才能があれば好きってわけじゃないと思うの。ホラ、走ると速いけど練習は嫌い・・・みたいなこととか、もっと別にやりたいことがあるとか。そういう人って走るって部分については今以上にはならないと思うし、それを長く続けることって出来ないじゃん。短期間で一つ目のギフトを本物にすることは高確率で出来ないと思う。(あ、出来る人もいるかもしれないけどね。)



逆に一つ目のギフトすらもらってなくても好きって場合もあるよね。「下手の横好き」って言葉もあるくらいだから。


そして、あたしが常に思っていることは、一つ目のギフトにすら気付けない人が世の中のかなり多くを占めているんじゃないかってこと。
(あ、もし全ての人に平等に一つ目のギフトが与えられているとしたら私自身は気付けない人。)
人間の一生・・・といわず、例えば職業ということについて考えてみれば生まれてきてからの20年とか30年とかの間に「決める」わけでしょ。その限られた中で自分に与えられたギフトに気付いてしかもそのギフトを気に入らなくちゃ(好きじゃないと)ダメってことでしょ。
これはすごく難しいことだと思う。
すごく学校の先生になりたくてなった人が、実は科学者になってたらものすごい発見をしてたかもしれない。(学校の先生になったことが悪いってわけじゃなくて。)


別に学校の先生になりたくてなったんだからそれはいいんじゃないの?ってそういう話なら私もその通りだと思う。全く問題ないと思う。
けど、「人よりも秀でる」みたいな「目覚しい活躍」みたいな話をするとしたら、やっぱり気付けるかって部分はものすごく重要だと思う。


あ、平凡に生きてる人を否定するわけじゃないです。今までも書いたことがあると思うけど、普通の人が普通に生きているっていうのはものすごく大変なことだと思ってる。だからそういう「目覚しい」みたいなことでなくていいなら私は普通に生きているというのは立派な「GIFT」と思っている。
結局一番大事なのは「気持ち」なんじゃないのかな。
人それぞれが思う「気持ち」が「GIFT」なんじゃないかな。

 

なんか「ギフト」って「チャンス」と同じようなもので
(「チャンス」自体も「ギフト」だと思うけど・・・)


「大事なものは何時もカタチのないものだけ 手に入れても失くしても気付かぬまま by little by little」

って感じなんだよなぁ。
そういうことを考えると、そもそも「ギフト」ってもらっていてもいなくても「もらっている」と信じられる強い心が大事なのかも。


「思い込みでも強く願えばいい 本物になれる日まで by Every Little Thing





「GIFT」って難しいものだと思うよ。