気力の「体力」

少し前に「痛みを乗り越える」の最後のところで「精神的な、気力みたいな」「体力」がないように思うって書いたので、そのことについて細かく書く。


人は存在していたら「1」だと思うのだけど、その人の存在価値っていうのは「1」にも「0」にも「−1」にもなると私は思っている。
で、私の中で大抵の人は「1」以上だと思っている。っていうか、普通の人は1オリジンなのね。
私自身はといえば・・・とりあえず大目に見て「0」かな。私に関しては0オリジンなの。



で、自分自身として他人から「良く」思われようとは思わないけど「損した」とは思われたくない。ここのところは自分の中でもものすごく微妙なところで、例えばゲーム的な言い方で言うとしたら相手のレベルが5だとするでしょ。そしたら私自身はなんとか自分をレベル5にもっていこうとその人と一緒にいる時だけでも頑張るわけよ。「良く」思われたいなら6以上が必要なんだけど、少なくとも5以上でないとダメだと思ってる。これってさ、0の人間からみたら相当がんばらないとダメでしょ。
逆に「損した」っていうのはレベル5の人の場合なら5未満の状態。具体的に言うなら例えば「コイツと話していても全くタメになんないな」みたいなのは4〜0、「コイツと話しているとムカつく」とか「コイツといると時間をムダにしてるように思える」みたいなのはもうマイナスだと思うわけ。


だからせめてタメにならないまでも「話していて面白い」とか「楽しかった」と思われたらそれはギリギリレベル5ってことで許されないかな・・・っていうのが私の気持ち。
なんか、私って本当に小心者で自分に自信がないのよね。
ちょっと話しはそれるけど、私ってブランドもののバッグとか絶対に持てない人だと思ってる。ここでいうバッグってバッグにでかでかとブランドロゴが入っているようなヤツ。なんかさ、それを持って歩いている自分を見られたくないっていう気持ちがものすごく強いのよ。なぜかというと、私なんかが持っていたら「なんであんなヤツがあんなすごいブランドのバッグを持ってんだよ、おかしいよ」って思われたくないからなの。そう思われたらすごく恥ずかしい。「分不相応」「不釣合い」ってのが自分としてよくわかっているから恥ずかしくて出来ない。あ、念の為言っておきますが、これは自分自身のこととしてそう思うってことで、別に他の誰かがすぐにみてわかるブランドのバッグを持っていても別になんとも思いません。持ちたい人が持てばいいと思ってる。



ブランドのバッグも私がレベル1になったら持っていて恥ずかしくないと思う。




話しを戻しますが、レベル0の私がレベル1以上のまわりの人と一緒にいるのはかなり精神的に疲れます。そうやって「体力」がドンドン消耗していって回復にはたぶん使った時間の何十倍、何万倍の時間が必要なのよね。なにか私は一人でいるのが一番いいのかも。けど一人が好き=孤独が好きってわけじゃないんだよね、そこは断言出来るけど。



あ、そうそう、それじゃなんでダンナと結婚したか(出来たのか?)っていうと、ダンナは私が沈黙していても何も言わない人だったからなのよね。あ、もちろん「損した」って思われているかもしれない、それは分からない。けど、私からすると「沈黙していても許される」と思えたんだよね。これってどういうことかと考えてみると・・・要するに私が合わせようもないくらいレベルが上だったってことじゃないかな。
例えばレベル1とかレベル10とか(そのボーダーラインはよくわからんのですが)だったらなんとかその時だけでも自分を引き上げようって意識が働くけど、たぶん100とか1000とか、そういうレベルだったんじゃないかな、私から見て。
そしたらもう絶対に合わせられないって観念するしかないみたいな。で黙っていても別に何も言わなかったから・・・それで「許されてる」って勘違いして上手くいったのかも。
あ、ダンナは「損した」「失敗した」と思ってるかもしれない。