終わりの定義

なんだか今までにも同じことを何度も書いてるような気がします。
自分でもしつこいと思いますが、それ程アタシがイヤだと思ってるのだと許して。



「終わりの定義」と言うべきか「目的の位置」と言うべきか・・・。
まぁ言葉はどうでもいいし、アタシの「基準」を押し付けるつもりはありません。でも世間一般的な、一般常識の範囲での暗黙の了解というか、そういうのはある程度固定されていて然るべきじゃないかと思うのですが。




家のダンナは・・・というか、アタシ以外の家族は結構みんなそうなのですが、なぜ後片付けをしないの?って思います。正直なところそれが不思議でしょうがないし、ハッキリ言って非常に不愉快・不快です。あ、こんなこと言うとアタシがどんなにキッチリと後片付けをしてどんなに家の中がキレイに片付いているかって話ですが、自分だって時間がなくてそのまま「放置」しておくことや、特に趣味のモノに関してはず〜っと出しっぱなしにしてあったりとエラソウなことは言えなく、家の中も散らかり放題です。ホント、足の踏み場も無いとはこのことかって思います。


でも、ですよ。
言い訳がましいというか、言い訳だとわかって敢えて言いますが(特に今は休みで)家族がみんな揃っているわけです。すると自分を含め家族4人分の後片付けを一人でしなくちゃならないのです。フツーに考えて溜まっていきますよね。しかも?部屋の中を片付けるとかいう家事だけじゃなく、洗濯や炊事みたいなことも一人でしてるわけです。「私的」な時間を一切とらずに家事に専念してたら別ですが、アタシはそこまで出来たオンナじゃないので、新聞も読みたいしテレビも見たい、ゴロゴロ転寝もしたいし、真夜中にはジョギング&ウォーキングもしたいわけです。そう考えると「散らかす時間>片付ける時間」みたいな感じで一向にキレイになっていかない・・・。



で、こうなると「なぜ後片付けをしないのか?」っていう疑問が出てくるのですが、以前「片付けられないオンナ」だかなんだかって本も出てたように思うのですが、そもそも「片付けられない」とかってことじゃなくて、「終わり」をどこに置くかっていう問題じゃないかと思うんです。言い方?を変えると「目的の達成」=「終わり」みたいな感じ。(ちょっと違うかな?)



家のダンナは洋服を脱いだらそのままだし、例えばご飯を作ることもたまにあるのですが、後片付けは「絶対に」しません。車で出掛けて帰ってきた後カギはいつも「その辺」に放置します。トイレに入る時に電灯を点けますが、出た時に消したりしません。冷凍庫からアイスを取り出しても「キッチリ」最後まで締めないので(当然開けっ放し状態)高確率で警告音が鳴ります・・・。
どれも些細なことかもしれないです。出来た奥様方ならば「そんなことぐらい」って許すのでしょう。
けどアタシは本当にコレがイヤです。っていうか、どうして「それくらい」のことが出来ないの?って思ってしまいます。


きっと、ダンナにとっての「終わり」が「目的を達成」したことになってるんだと思うのです。それならなんだか全ての辻褄が合う感じ。
つまり「ご飯を作る」っていうのは作れた時点で目的は達成されてるわけでそこには後片付けっていう行為は含まれてないのです。洋服も例えば「暑いなぁ」って脱いだら暑さを軽減するっていう目的は達成されてるわけなのでその後その洋服がどうなろうと知ったこっちゃない。車で出掛けて帰ってきたら、当然ですがもうカギに用はないわけです。トイレに入る時は暗いから電気を点けようって思うけど、用を足したらその後点けっぱなしだろうが自分には関係ない。冷凍庫からアイスを取り出せたらもうドアが開いていようがいまいが自分には関係ない。たぶんそんな感じです。



でもアタシにとってはそうじゃない。
例えばご飯作って後片付けが出来てない場合は次に作る時に後片付けから始めなきゃならないわけですよね。アタシはそれってオカシイと思ってるわけです。アタシは良く数直線を例えに出しますが、今回のこともソレに例えるとキレイに片付いてる状態から始めるのが0からのスタートだとすると後片付けから始めるのってマイナススタートって感じなんです。普通に考えて0からスタートするのが一番自然だと思うのですが。しかも・・・自分でしたことの後始末じゃないですからね。



よく「片付ける」ことに関しての本なんかに「定位置を決めて使った後は必ずそこに戻す」そしたら散らからないみたいなことが書かれてあるような気がしますが、そもそもソレをする気がないんだからキレイでいられるわけがない。



最近では「そういう人達なんだろうなぁ・・・・」って思っていますが、ソレは決して許しているわけじゃなく諦めているのです。
なんかダンナを「教育する」みたいな言い方をされることがあると思いますが、もう人生半分以上生きてきてる人にどう教育すればいいんだって思うし、やはり人間気持ちが大事だと思うので本人が「出来るようになりたい」って思わなければ何度言い続けたところで改善はされないと思う・・・っていうか、ダンナに関して言うなら自分が不便を感じていないから(アタシが知らないうちに片付けているから)「なんでそんなことしなくちゃいけないんですか?」って感じだと思う。




柔道とか剣道とか、相撲もそうね、一つの技で勝敗が決まるスポーツってあると思います。1本とって「勝ったぁ〜♪」と思ったとしても最後の礼までするじゃないですか。



なんか「目的の達成」=「終わり」じゃなくて、もうすこし「終わりの定義」というか「終わりの位置」というか、そういうのを考えて自分の中に固定させて欲しいと思う。
でもまぁ無理なんだろうな。もはや全く期待してない。