なんか悲しくなるなぁ・・・

ネットで見ました。



自分が担任している子供から「24か25回目の誕生日」って書かれたカードをプレゼントされた20代の女性教諭が


「24か25って。雑なバースデーカードに笑ってしまった」


とかってフェイスブックに載せたんだそうだ。
で、まぁそれが関係ない保護者に「見つかり」校長と教諭が謝罪したらしいんだけど・・・


「友人だけに見せるつもりが操作を間違えて全体に公開してしまった。子供に失礼なことをして申し訳ない」



↑これって、謝罪なの?謝ってるの?






あの・・・ホント、考え方が古くて申し訳ないですが、アタシ、先生ってどんな人でもなれるとは思ってないというか、やはり先生になる人には「気持ち」を持ってて欲しいんです。そういう人になって欲しいんです。
子供が好きだったり、人間としてちゃんとした人になるように導いてあげたいとかって情熱を持ってる人になって欲しいんです。
そして、そういう人だったら自分が持ってるクラスの子からなにかをプレゼントされてそんなふうには思わないと思うんです。(←完全にアタシの幻想かもしれないですが。)
先生冥利につきるというか・・・だって、嫌われてたらプレゼントなんてしてもらえないですよね、そうじゃないのかな?




なにか・・・アタシは人に優しくするっていうのは思い遣りのその向こうにあるように思っていて、例えば今回先生にカードをプレゼントした子は「先生お誕生日おめでとう」って気持ちがあって、でもそれだけだったら自分の気持ちの中で終わってしまって構わないことだと思うんです。それを「勇気を出して」プレゼントってカタチにして渡したわけですよね。頑張ってその向こうまで行ったのに受け取った側の先生は表面的なところしか見ないで「雑」ってだけで終わりって・・・なんかなぁ・・・先生には「先生にプレゼントしたい」と思ってくれた部分をわかって欲しいんだけど。



っていうか・・・・24歳か25歳って「1歳」が重要かもしれないけど、正直30過ぎくらい(以降)になってくると(アタシの場合ですが)もう自分の年齢なんかパッと言えないし、「だいたい何歳くらい」みたいになってくる。あと、子供の年齢から自分の年齢計算したりとか。
そして、なにより(ま、これは家に限ってだと思いますが)誕生日なんか誰も気付いてくれないし、当然お祝いもないよ、プレゼントもらえるだけ有難いよ。




* * * * * 追記


これを書いた後にたまたまネットの反応を見ましたが・・・世間の皆様の感想は結構おおらかな感じ。


こんなの問題にするほうがオカシイとか、ナニが問題なのかわからないとか、先生はうれしくて書いちゃった(そもそも悪気があって書いてるわけじゃない)とかいう意見が多い。


そうなのか・・・。
確かに「言葉」に対する感覚は人それぞれで、アタシにはどちらが正しくてどちらが間違ってるとか判断できません。ただ。アタシの感覚では「雑」って単語はマイナスイメージの方が強い。
その「雑」にプラス「笑ってしまった」って・・・アタシの中ではフツーに考えて「ばかにしてる」みたいに受け取れるのですが・・・プラスイメージに受け取ってる人は「雑」で【微笑ましくて】「笑ってしまった」という解釈みたい。



仮に・・・自分が本当にうれしくて書くとしたら「24か25って、子供ってカワイイね」ぐらいかな。
言葉というか、気持ちを文字に置き換えるのは難しいね。